岡山から山陽本線の普通列車に、倉敷~笠岡と揺られて、広島県の福山にやって来ました。
在来線の福山駅は、山陽新幹線の高架下にあるため、日中も暗めなのですが、その分、新幹線からの乗り換え移動距離は短めで済むのは有難いところです。
福山には、東京発の「のぞみ」も毎時1本停車し、尾道方面への乗り換えはスムース。
北側のホームからは、間近に福山城を望むことも出来ます。
福山から尾道までは、山陽本線の普通列車で20分弱。
東尾道駅を出てしばらくすると、進行左手には尾道水道が見えてきます。
狭い水道を一跨ぎにするのは、尾道大橋と新尾道大橋。
特に新尾道大橋は「しまなみ海道」の一部となっていて、愛媛・今治まで繋がっています。
山陽本線の車窓は、何と言っても瀬戸内海が美しいですよね!
時間が許せば、尾道は途中下車したい街。
「千光寺山ロープウェイ」で尾道を代表する観光地・千光寺公園に登れば、眼下には、美しい瀬戸内のしまなみが広がります。
特に夕暮れの時間帯は、何度訪れても、いつまでも眺めていたくなる美しい景色。
坂道歩きも楽しめば、景色でしっかりお腹いっぱいになれるかも!?
尾道の景色のように満腹度の高いご当地駅弁といえば、「牛肉駅弁 大将」(1,200円)。
調製元は、明治23(1890)年創業の「浜吉(はまきち)」です。
元々は、機関区があった山陽本線・糸崎(いとざき)駅の駅弁屋さん。
糸崎では機関車の付替えが行われたため、優等列車でも10分程度の停車時間がありました。
この「長い停車時間」ゆえに、多くの駅弁が売れたという訳なんですね。
糸崎機関区は、昭和40年代のSLリアルタイム世代の方にとっては「聖地」のような場所。
C62、C59などの蒸気機関車が、糸崎から呉線経由の急行列車などで先頭に立ち、最後の輝きを放った場所なのです。
現在、「浜吉」の駅弁は、山陽新幹線が停まる福山・三原・(新)尾道を中心に販売されており、岡山でも一部店舗で取り扱いがあります。
何故“満腹度”が高いかといえば、牛肉と松茸のW駅弁であるということ。
「浜吉」に伺いますと、「すき焼きに松茸」というのは、実は瀬戸内の食文化なんだそう。
広島出身のニッポン放送・栗村アナウンサーによれば、今の世羅町周辺には昔、アカマツが多く松茸がよく採れたそうで、当時は牛すき焼きも“ご馳走”ということで、一緒に出されたといいます。
広島・備後地方が、豊かな松茸の産地だったからこその組み合わせなんですね!
「大将」の牛肉は、「ステーキ・すき焼き」の2種類の味が楽しめます。
ポン酢でいただく肉厚のステーキは、冷めても柔らかく、良質な牛肉であることを伺わせます。
それもそのはず、飼育管理が明確な広島のブランド牛・なかやま牛を使用しているそう。
松茸の香りを優雅に楽しみたい気持ちと、牛肉にガッツリ喰らいつきたい気持ちがせめぎ合って、あゝ、ホントに悩ましい!
広島の食文化もいただいて、心も満腹になりました。
山陽本線は、今も尾道と三原の間にある「糸崎」周辺が、岡山と広島の境界地点。
岡山からやって来た電車は、糸崎や三原で折り返して岡山方面へ戻り、広島からやって来た列車も、糸崎や三原で折り返して広島方面へ戻っていきます。
そんな糸崎で育まれてきたのが、「浜吉」の駅弁。
今では駅弁の販売は新幹線駅が中心となりましたが、「浜吉」の駅弁の包装紙の中に「糸崎」の文字を見つけると、在来線の黄金時代が想起され、旅情が感じられるものです。
(取材・文:望月崇史)
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/