【ライター望月の駅弁膝栗毛】
仙台周辺のJR線でも、ユニークな歴史を持つのが「仙石線」。
元々、私鉄の宮城電気鉄道として始まり、戦時中に買収されて国鉄になった路線です。
このため、東北地方のJR線では唯一の直流電化路線となっており、国鉄時代から首都圏で活躍した通勤形電車が、仙石線で“第2の人生”を送って来ました。
現在も、かつて山手線などを走った205系電車が改造を受けて、仙石線を走っています。
仙台方面へ向かう、仙石線の列車は「あおば通」行。
仙石線は平成12(2000)年3月、仙台よりの区間が地下化された際に、仙台から「あおば通」まで1駅延伸され、仙台市地下鉄・仙台駅との乗換が便利になりました。
そんな仙石線は、今年(2018年)11月で仙台~石巻間が開通して90周年。
平成23(2011)年の東日本大震災で大きな被害を受けながら、復活した路線の1つです。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第12弾は、仙台駅弁「こばやし」の小林蒼生(こばやし・しげお)代表取締役にお話を伺っています。
―東日本大震災のときは、大変なご苦労をされたんですよね?
宮城県には昔、宮城県沖地震という地震がありました。
その後、阪神・淡路大震災があり、新潟でも地震があって、そのなかで各メディアでも、宮城県では今後マグニチュード7以上の地震が起こる確率が非常に高いと報じられて来ました。
ですので、事前にイロイロと準備をしていましたから、グラッと来たときは「俺の出番だ」と思っていましたので、別に怖さはありませんでした。(解説)
小林社長が災害対策に取り組んだのは、平成7(1995)年の阪神・淡路大震災がきっかけで、神戸の駅弁屋さん「淡路屋」を訪問し、アドバイスをいただいたという。
30年以内の宮城県沖地震の発生確率が99%と報じられ、より取り組みが強化された。
その結果、以下のような対策が取られていた。●駅弁の生産に必要な飲料水を、自前の地下水でまかなうこと。
●調理に使う「熱源」は電気を優先し、ガスは備蓄可能なLPガスを使う。
●仮設トイレを3基準備。
●連絡手段としてNTTの衛星電話を準備しておく。こうした対策はもちろん、従業員全員による定期的な訓練も行われていたという。
―休むことなく、スグに弁当作りを再開されたそうですね?
幸い、電気が翌日の昼には点きました。
冷凍・冷蔵庫も3月11日という気温の低い時期だったので、(冷蔵庫を開けないことを徹底していて)食材があまり使えなくなることがなく、弁当の製造を再開することが出来ました。
―いきなり、全種類を作るとはいきませんよね?アイテムを1つに絞り込んで、いまある材料でできる、400円の幕の内弁当を提供しました。
もちろん新幹線は停まっていますし、仙台駅も封鎖されていましたので、電力関係や自衛隊などの、緊急時に活動される皆さんに向けて作りました。(株式会社こばやし・小林蒼生代表取締役インタビュー、つづく)
(解説)
すぐに弁当作りを再開できた背景には、無洗米600トンや調理不要の食材の備蓄もあった。
驚くべきは、従業員の方の採用計画まで、震災対策が練られていたこと。
災害時の交通渋滞やトラブルを見込んで、徒歩・自転車通勤者が最優先。
次いで公共交通機関の利用者を優先して採用し、震災翌日に従業員を確保できたという。
なお、3.11の教訓を踏まえ、「こばやし」の震災対策はバージョンアップされており、保冷車の増備や蓄電池や発電機による停電対策、社用車の常時ガソリン満タン等が徹底されている。(参考)
『その時、そして、それから 3.11東日本大震災「こばやし」の記録』(こばやし刊)
震災から3か月あまり経って、平成23(2011)年の夏の東北六魂祭をきっかけに「こばやし」の駅弁にも、本格的な復興支援商品が登場して行きます。
そのなかで、いまでもいただくことができるのが、震災の年の9月25日に復興支援駅弁第2弾として登場した「東北まるごと弁当」(1,150円)です。
仙台の画家・小野寺純一さんによる包装には、各県のシンボリックな絵が描かれています。
【お品書き】
・白飯(宮城県産環境保全米ひとめぼれ) 刻み梅、白ごま
(青森)姫竹の子薄煮、焼りんご煮、金時豆
(秋田)とんぶりマリネ(とんぶり・玉葱・人参・胡瓜)、フキの旨煮、いぶりがっこ
(岩手)銀鮭酒粕漬焼き、菜・彩・鶏の照焼き
(山形)牛肉と野菜の芋煮(里芋・牛肉・手綱蒟蒻)
(宮城)笹かまぼこ、牛たんシチュー、厚焼玉子
(福島)大根田楽(会津天宝味噌)、季節のフルーツ
被災地の食材を使って作られたという「東北まるごと弁当」。
東北6県の伝統食や特産品を使ったおかずが六角形の容器にたっぷり詰まっています。
県ごとのマスに分かれているので、各県を思い浮かべながらいただくことが出来ます。
沢山のおかずが入って、多くの手間がかかった幕の内系駅弁。
これからも震災を忘れない駅弁として、多くの方に手に取ってもらいたいものです。
いよいよ次回、小林社長インタビュー完結編。
駅弁の「これから」を語ります。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/