【ライター望月の駅弁膝栗毛】
新幹線初の“リゾート列車”として知られるのが、山形新幹線の「とれいゆつばさ」。
週末を中心に、奥羽本線(山形新幹線)・福島~新庄間で1往復運行されています。
E3系新幹線電車6両編成のうち、新庄よりの16号車にある「足湯」が列車の目玉。
お隣・15号車には、湯上がりラウンジやバーカウンターが設けられています。
平成の間に、新幹線の形も大きく変わったものです。
(とれいゆつばさ)
https://jr-sendai.com/train/toreiyu/
平成4(1992)年の山形新幹線の開業で、山形の玄関・JR山形駅も大きく変わりました。
特に西口は、かつては貨物駅が広がっていたといいますが、平成の間に再開発が進み、霞城セントラル、山形テルサといった施設や、大手チェーンのビジネスホテルが建ち並ぶようになりました。
駅の形も、時代に合わせてどんどん変わっていくものなんですよね。
そんな山形駅の駅弁を手掛ける「もりべん」も、2年ほど前に大きく変わりました。
昭和20(1945)年、駅前旅館から始まった「森弁当部」の創業家の方が経営から退いて、トップとしては三代目となる、林邦宣(はやし・くにのぶ)代表社員(社長)が就任しました。
前回・第14弾の「駅弁屋さんの厨房ですよ!」でご紹介した米沢で100年以上、駅弁を手掛ける「松川弁当店」林真人代表取締役の弟さんです。
林邦宣(はやし・くにのぶ)
昭和45(1970)年4月27日生まれ(49歳)、山形県米沢市出身。
会社勤めを経験した後、24歳の時、松川弁当店に入社。
主に飲食店部門を担当する。
平成29(2017)年から、合同会社もりべんの経営を引き継ぐ。
(もりべん)
https://www.moriben.com/
(松川弁当店)
http://www.yonezawaekiben.jp/
●県庁所在地の駅弁を守るため、米沢から山形へ!
―林社長が、「もりべん」の経営を受け継がれた経緯を教えていただけますか?
先代の方がご高齢になられて、後継ぎの方もいらっしゃらないなどの事情もあったことから、経営を引き継いで貰えないかという話が松川弁当店にありました。
山形市は県庁所在地であり、山形駅は県の玄関口です。
山形新幹線の始発列車もたくさん運行されていますので、山形駅の駅弁を無くしてはならないということで、松川弁当店から私が入って、受け継ぐことになりました。
―2年前に経営を受け継がれたそうですが、「松川弁当店」とはどういう関係でしょうか?
今もそれぞれ単体の会社です。
営業面などは(松川弁当店と一緒に出来る所は共通化するなど)協力するという意味で、私の兄も、無報酬で「もりべん」の役員に入っています。
同じ山形ですので、一緒に頑張っていきましょうという形で進めています。
●イチ会社員から「社長」へ、身にしみる社長業の大変さ!
―林社長は、「松川弁当店」では、どんなお仕事をされていました(います)か?
松川弁当店では、「べこや」「いろり」、ラーメン店などの飲食部門を担当していました。
元々、私は普通の会社員で24歳の時、兄が「べこや」の1号店を出すことになりまして、「手伝ってくれないか?」と頼まれて、米沢に戻ってきました。
それから肉屋さんなどで修業して「べこや」の1号店を出したんですが、サラリーマンからお店を経営するということになった時は、戸惑いも大きかったですね。
―お兄様から「もりべんをやってくれないか?」と云われた時は、どう思いましたか?
松川弁当店では専務を務めていました。(今も務めていますが8割近く「もりべん」です)
でも、社長となりますと、業務全般を見る必要があります。
経営が厳しい中で会社を引き継いだので、正直、不安はありました。
実際、就任してからも、その大変さはとても身に染みています。
「もう、上を見るしかない!」と開き直ることが出来たことも大きかったかなと思います。
●ベテラン職人さんの手で、丁寧に作られる「もりべん」の駅弁!
ー「もりべん」に入られた時、従業員の皆さんの反応はいかがでしたか?
引き継いだ時、まず社員の皆さんと面談を行いました。
とても真面目な方が多いというのが、第一印象でした。
長年、「もりべん」に勤めて来られたベテランの方も多くいらっしゃいました。
私自身も受け入れてもらい、これなら現場を任せられると安心しました。
―駅弁の作り方や、社風の違いのようなものはありましたか?
駅弁作りの環境は、米沢とは全く違いました。
「もりべん」の社屋は、もともと旅館だった建物を改装しています。
4階建ての3階で調理を行い、2階に下ろして詰めるという作業を強いられています。
「もりべん」は、本当に「手作り」の部分が多くて、朝2時台から仕込みが始まります。
玉子焼きなどを1つ1つ、手間を惜しまず、とても丁寧に作っているんです。
(もりべん・林社長インタビュー・つづく)
そんな手作りの味が味わえる「もりべん」の駅弁といえば、「みちのく弁当の旅」(1100円)。
スリープ式の包装となっていますが、雪の中の農家が描かれたデザインは昔のまま。
20年近く前、私が初めて山形を訪れた時に、この駅弁をいただいた記憶があります。
山形駅を訪れたことがある方には、きっと思い出の1頁になっている方もいるのでは?
古きよき東北の旅の記憶を呼び起こしてくれる駅弁といえましょう。
【おしながき】
・白飯(山形県産はえぬき)
・牛肉
・玉子焼き
・煮物(ぜんまい・平茸・筍)
・玉こんにゃく
・わらび酢漬け
・紅生姜
・香の物
・辛子
目を引くのは、やっぱり「玉子焼き」。
昔から家庭的な素朴な味わいが魅力でしたが、きちんと手作りだったとは!
ホント、こういった職人さんの存在は、駅弁界の宝だと思います。
加えて、山形名物の玉こんにゃく(辛子は別添)も入って、ご当地感もしっかり。
伝統は受け継ぎながら、牛の味わいはアレンジされて、今風の駅弁に仕上がっています。
変わる列車、変わる街の中にあって、変わらぬ桜、変わらぬ駅弁の存在は、なんとなく、懐かしさが感じられて、ホッとさせられるものです。
新幹線が通り、様々な楽しみ方が出来るようになった「みちのくの旅」。
もりべん・林社長のインタビュー、次回に続きます。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/