【ライター望月の駅弁膝栗毛】
名古屋・大阪から高山本線を経由して高山・富山を結ぶ、特急「ひだ」号。
名古屋~富山間はおよそ2時間半、名古屋~富山間はおよそ4時間。
また、大阪発着の1往復は、大阪~高山間をおよそ4時間半で結んでいます。
富山まで足を伸ばす列車は、前3両が富山行、後4両が高山止まりの7両が基本ですが、お客さんが多い日は、需要に合わせて、こまめに増結されることもよくあります。
特急「ひだ」号も全列車が停まり、高山本線を走る車両の車庫もある美濃太田駅。
高山本線からは、太多線と第3セクターの「長良川鉄道」が分岐しています。
長良川鉄道は国鉄時代、越美南線と呼ばれた路線で、全線開通すれば「越美線」として、福井駅までつながる予定でしたが、北濃駅まで開通したところで3セク化されました。
ちなみに越美北線は、JR西日本の路線として、いまも地域の足となっています。
そんな交通の要衝として長年、多くの方に利用されてきた美濃太田駅の駅弁を手掛ける「向龍館」が、5月31日をもって惜しまれながら構内営業を終了しました。
各メディアで報道されたこともあり、最終週の日中は随時20~30人がホームに行列!
特に最終日は朝3時半起きで仕込んだという名物「松茸の釜飯」100個が午前10時前に完売し、駅近くのお店では「向龍館」の家族の皆さんが総出で追加生産にあたりました。
今回の営業終了が本当に残念なのは、ずっと「駅弁の立ち売り」が健在だったから。
「以前」は立ち売り専門の方がいらっしゃいましたが、辞められてからは、「向龍館」社長の酒向茂さんが自らホームに立って駅弁を販売されてきました。
岐阜方面の列車と下呂・高山方面の列車が乗り換えになることが多い美濃太田駅にあって、夕方、下校の高校生にもみくちゃになりながらも、釜飯が立ち売りされていた風景の記憶は、決して色あせることはありません。
公式営業最後の日は、美濃太田を10:45に発車する長良川鉄道の看板観光列車「ながら」号のホームで、この日初の“立ち売り姿”披露となりました。
立ち売り姿でホームに現れると観光列車の乗客たちに囲まれたのはもちろん、長良川鉄道の駅員の皆さん、さらには「ながら」号乗務のアテンダントさん1人1人からも声をかけられ、美濃太田駅弁が愛されていた様子が伺えます。
駅弁の立ち売りは、究極の対面販売。
売り手と買い手が同じ目線に立って、言葉を交わし、駅弁と現金をやり取りしていきます。
そこには人間同士の息遣い、温もりがあり、買い求めたお客さんの笑顔があります。
そんな日本の鉄道文化の1ページを作ってきた風景がいつしか希少なものとなり、そしていま、本州の駅の日常から消えてなくなろうとしている…その歴史的瞬間が目の前にあるのです。
駅弁の立ち売りの草分けは、明治21(1888)年、東海道本線・国府津駅で駅弁を販売した「東華軒」と言われ、東華軒の社史にもその記述があるそうです。
じつは当時、欧州から持ち帰った籠をヒントに生み出したヨーロピアンスタイルなんだとか。
ただ、向龍館の釜飯も釜は元々、陶器ですし、昔は陶器の汽車土瓶もあったでしょうから、立ち売り販売員の方は腰やひざなど、身体にはさぞ大きな負担になっていたことでしょう。
公式営業最終日の「松茸の釜飯」(1000円)は、旧来の陶器製の釜で提供されました。
向龍館の陶器は、多治見の窯元にお願いしているそうですが、営業終了を惜しむ皆さんが釜飯をたくさん買い求めたことで、最終日を前に肝心の釜が足りなくなってしまったとか。
このため急遽、窯元にお願いして、かき集められるだけ、釜を集めてもらったのだそうです。
ズシリと来るこの重みは“歴史の重み”…、やっぱり「松茸の釜飯」はコレです!!
吊るして持ち運びができるようキツめに結ばれた紐をほどいて、掛け紙を外し、陶器のふたを開けると、フワッと漂う松茸の香り、そして上品な味わいのご飯。
最終日はご飯を炊く出汁も足りなくなるほどの盛況ぶりでしたが、ご主人がおっしゃった「一気じゃなくて、もっとバラけて来てくれたらなぁ…」というのは、恐らく偽りのない気持ち。
普段はあまり売れなくなってしまったのが、営業終了の理由の1つでもあるからです。
今後、駅弁の立ち売りがあるのは、九州の鹿児島本線・折尾駅と肥薩線・人吉駅。
なお、「東筑軒」によると、折尾駅は毎週水曜が立ち売りは休み。
「人吉駅弁やまぐち」によると、人吉駅は毎週金・土・日・月のみ実施しているということです。
また、駅弁ではありませんが、奥羽本線・峠駅の「峠の力餅」の立ち売りは健在。
このほか駅弁屋さんによっては、観光列車やイベント等で立ち売りを行うこともあります。
60年にわたって多くの人に愛された駅弁が、希少な立ち売りと共に無くなってしまうのは、ただただ残念で、駅弁文化を多くの方に伝えたい思いで「1日1駅弁」の連載を行っている私自身も、悔しい気持ちがいっぱいです。
でも、救いなのは「駅弁文化を守り、次世代につなぎたい」と考えている駅弁屋さんが多いこと。
私たちもまた、「駅弁」を通して地域の食文化を知り、愛着を深めていきたいものです。
「駅弁膝栗毛」でもこれ以上、駅弁屋さんの営業終了をお伝えすることがないよう、より一層、全国各地の駅弁文化・鉄道旅文化を深く、面白く、楽しくご紹介していきたいと思います。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/