【ライター望月の駅弁膝栗毛】
秋田を午前中に発って羽越本線を上ってきた特急「いなほ8号」が、冬の西日を浴びながら、白新線(新潟~新発田間)に入って来ました。
“白新”とは、新潟市内の白山(現・越後線)と羽越本線の新発田(しばた)を結ぶ路線の意。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第20弾は、この「新発田」の駅名を社名に冠する「株式会社新発田三新軒」にお邪魔しています。
<株式会社新発田三新軒・伊田社長プロフィール>
伊田研一(いだ・けんいち)社長、昭和26(1951)年生まれ、68歳。
鳥取県出身、新潟在住40年。
大学進学のため上京、東京で新発田三新軒のお嬢さんと出会い、結婚して新潟へ。
当初は一般企業に勤めていたが、昭和59(1984)年、新発田三新軒入社。
平成17(2005)年1月1日より、4代目の代表取締役社長を務める。
●新発田~新潟~新津とやって来た「新発田三新軒」
―「新発田三新軒」は、新津の「三新軒」の分社化で生まれたんですよね。
「新発田三新軒」としては、昭和30(1955)年12月創業です。
「三新軒」の各営業所が、この時期に独立して、分社化されました。
(ご紹介いただいた)新潟三新軒の初代社長と、新発田三新軒の初代社長は実の兄弟です。
新発田三新軒は、初代がその石山社長、2代目が石山社長の奥様が務められ、3代目は三新軒の遠藤龍司社長が兼務されて、私で4代目となります。
―元々は、羽越本線と白新線が接続する「新発田駅」の近くにあったんですか?
私が入社したときは、本社が新発田でした。
これと別に昭和43(1968)年に開設した新発田三新軒・新潟営業所もありました。
ところが1990年代に、新発田駅前の区画整理事業で道路が本社にかかってしまいました。
上越新幹線開業後、すでに販売の主力が新潟駅に移っていましたので、製造拠点を新潟営業所に移し、平成9(1997)年には、本社機能も新潟市内に移すことになりました。
―いまはなぜ、「新津」に本社があるんですか?
新潟営業所の調理場などは、平成8(1996)年から、新潟駅の新幹線高架下にあった、昔の日本食堂(現・日本レストランエンタプライズ)の所を使わせてもらっていました。
ところが、平成11(1999)年になって新潟駅の改良工事が行われることになり、立ち退きを余儀なくされました。
このため、新津に改めて移転し、現在の「三新軒」と調理場を共有する形が始まりました。
●新潟県中越地震の痛手を乗り越えるために…
―最近は「三新軒」の駅弁も、「新発田三新軒」で作られていますよね?
平成20(2008)年からは、三新軒の製造スタッフも新発田三新軒が引き受けています。
製造は新発田三新軒、販売は三新軒という形で、委託製造を受けています。
このスタイルになったきっかけは、平成16(2004)年の新潟県中越地震です。
上越新幹線が65日間ストップして、売れても1日8000円程度という日がありました。
もう会社がなくなると思ったほどです。
―2ヵ月以上、新幹線が来ないって、それは駅弁屋さんにとっては大問題ですよね。
じつは中越地震では、長岡駅弁の「池田屋」さんに、とても感謝しています。
池田屋さんも、地震で調理場が被害を受けてしまい、弁当を作れなくなってしまいました。
でも、長岡は大きく被災したエリアということで、弁当へのニーズが高かったんです。
そこで新幹線が止まっている間、新発田三新軒をはじめ、新津から弁当を運んで、長岡の店頭で池田屋さんに販売してもらいました。
駅弁の売り上げがほとんどなくなっていたなか、何とか、ピンチをしのぐことができました。
●まさか! 吉永小百合さんがJRのCMで!!
―困ったときは、駅弁屋さん同士、みんな助け合いなんですね。
JRさんにも助けてもらいました。
平成18(2006)年の秋からおよそ半年間にわたって、吉永小百合さんが出演されている「大人の休日倶楽部」のコマーシャルに、弊社の駅弁「まさかいくらなんでも寿司」(1150円)を、使っていただいたんです。
都心の「びゅうプラザ」のディスプレイなどでも、CMをヘビーローテーションしてくれました。
―これは反響が大きかったんじゃないですか?
じつは「まさかいくらなんでも寿司」は、新発田三新軒では初めての「輸送対応駅弁」でした。
そこでCMをご覧になった各スーパーや百貨店のみなさんが、駅弁大会などの催事などで、たくさんご注文をいただけるようになったんです。
特に最初のスーパーは、1日2000食、5日連続で注文して下さって本当に助けられました。
「まさかいくらなんでも寿司」は、中越地震からの復興を支えた駅弁なんです。
(新発田三新軒・伊田社長インタビュー、つづく)
【おしながき】
・酢飯(新潟県産米)
・いくら
・鮭フレーク
・かに
・ます
・錦糸玉子
・香の物
・ガリ
平成12(2000)年発売、現在の新発田三新軒の駅弁では、最もロングセラーとなっている「まさかいくらなんでも寿司」。
ますの「ま」、さけの「さ」、かにの「か」に「いくら」が入って、「なんでも」アリの賑やかな寿司駅弁は、見た目も華やかで、ふたを開けた瞬間から気分が高まります。
酢飯も程よい酸味で、とても口当たりのいい駅弁です。
「まさかいくらなんでも寿司」というネーミングは、伊田社長の考案。
じつは伊田社長、だじゃれ大好きな方なのです。
「だじゃれの駅弁はほとんど私が考えています」と話します。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第20弾・新発田三新軒編、伊田研一社長のインタビュー。
次回は、“だじゃれ駅弁”にかける思いも伺ってみたいと思います。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/