【ライター望月の駅弁膝栗毛】
越後線の信濃川橋梁を、長年新潟エリアで活躍してきた115系電車が渡って行きます。
後3両はおなじみ「湘南色」ですが、前3両の赤と黄色のカラーは、新潟のオリジナル。
昭和53(1978)年に115系電車がデビューする前、新潟エリアで活躍していた70系電車のカラーを復刻させた「懐かしの新潟色」と呼ばれる編成です。
登場40年あまり、昔は追う立場だった115系電車が追われる立場となり、2つのカラーをまとって信濃川を渡って行く姿は、一定世代以上の方には感慨深いものがあることでしょう。
(参考)新潟市ホームページ、JR東日本新潟支社ニュースリリースほか
越後線の列車は、白山~新潟間で信濃川本流、青山~関屋間で関屋分水路、寺泊~分水間で大河津分水路と3つの大きな橋梁を渡ります。
大河津分水路の歴史は長く、江戸時代中頃の享保年間には幕府への請願が行われており、明治42(1909)年に着工、22年の歳月をかけ、昭和6(1931)年に完成しました。
分水路の完成で、越後平野の水害リスクが減り、新潟の発展に大きく寄与したとされます。
(参考)国土交通省・信濃川河川事務所ホームページ
大河津分水路の完成で大きく姿を変えたのが、新潟のシンボル「萬代橋」と「新潟港」。
当時780m以上あった川幅ですが、大正11(1922)年、大河津分水に通水したことで信濃川の水量が減り、両岸を埋め立てて架橋距離を短くし、堅牢な橋の架橋が可能になります。
3代目「萬代橋」は、路面電車と自動車が通れるように幅22mと広く設計され、全長300mあまり、鉄筋コンクリート造の美しいアーチ橋として昭和4(1929)年に完成、いまも現役です。
平成16(2004)年には、国の重要文化財にも指定されました。
一方で、新潟港(西港)は、大河津分水工事の完成に合わせて、近代的な埠頭が完成。
流入する土砂の量が減って、大きな船が安全に航行できるような水深になりました。
(参考)新潟市、国土交通省ホームページ
萬代橋と共に国の重要文化財に指定されている新潟市内の建造物には、幕末の開港場の1つに選ばれた港町・新潟を象徴する建物、「旧新潟税関庁舎」があります。
この「旧新潟税関庁舎」を、イラストレーター・なかだえりさんが描いたパッケージの駅弁と言えば、「新発田三新軒」の「湊街にいがた華やぎ弁当」(1180円)。
新潟開港150周年を記念して、港町・新潟をテーマに作ったという駅弁です。
【おしながき】
・新潟県産コシヒカリ 赤小梅とちりめん添え
・越後もち豚ロース味噌漬け
・だし入り厚焼き玉子
・塩引き鮭
・岩船産柳がれい素揚げ
・甘えび素揚げ
・塩イカゲソ天ぷら
・たらこ
・パンプキンサラダ
・もずくの酢の物 桜花添え
・舞茸煮物
・赤かぶ酢漬け
・ちりめん しらす・野沢菜・オキアミ
「新発田三新軒」では、新潟の食材にこだわった駅弁の1つ「湊街にいがた華やぎ弁当」。
伊田研一(いだ・けんいち)社長によると、2つの容器に小分けにして入れたことが結果的に港町らしく、“入船&出船”に見立てることができて、関係者のみなさんにも好評を博したそう。
当初、ご飯の量を少なめにしたことで、男性の方には受け入れられにくいかなという懸念があったと言いますが、そこは、お酒大好きな方の多い新潟ならではの“嬉しい誤算”。
『(新幹線に乗るとき)酒のつまみになっていい!』とおっしゃる方も多いのだそうです。
1人で食べても、仲間とシェアしていただくにもちょうどいい駅弁ですね。
信濃川の河口に、大きく発展してきた新潟のまち。
水害が減り、交易が盛んになるのと合わせ、越後平野は穀倉地帯となり、鉄道や道路網の陸上交通が整備され、日本海側随一の都市へと変貌を遂げてきました。
世代交代が進む新潟の電車に揺られながら、新潟のまちが辿ってきた道のりに思いを馳せ、ご当地の味を楽しめば、より深い新潟の旅を満喫できることでしょう。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/