それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
近年は「縄文時代」がブームで、縄文にハマる人が増えているそうです。2021年7月27日には、北海道と青森、岩手、秋田に点在する「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されました。東京オリンピックの開幕や緊急事態宣言と重ならなければ、この夏と秋は縄文の大ブームになっていたかも知れません。
青森県在住のコラムニスト「山田スイッチ」さんも、縄文にハマった1人。普段は津軽地方の平川市に住む主婦ですが、縄文好きが高じて自宅の庭に竪穴式住居を建てたり、土偶のゆるキャラ「ドグ子」に扮したりと、地元では知らない人はいないほどの有名人です。
幼少期は縄文遺跡にまったく興味がなく、夢は保育士さんになること。英語に興味を持てば「海外で仕事をしてみたい」と思ったり、『世界ふしぎ発見』のミステリーハンターになりたいなど、しょっちゅう夢が変わる少女だったそうです。
地元の大学を卒業すると、今度はお笑い芸人を夢見て、親の反対を振り切り上京。お笑いコンビ「しあわせスイッチ」を結成します。
「あのころはオーディションを受けては落ち、受けては落ちの連続でした。『お笑いって、どの仕事よりも難しい仕事だ』と悩んでばかりいましたね」
結局プロにはなれず、夢半ばでコンビを解散。その際、いつもお笑いのネタを書いていた山田スイッチさんに、「私は女優を目指すから、あんたは物書きになったら?」と相方が言ったそうです。
そこで応募した「第1回ぴあコラム大賞」で、何と大賞を受賞します。「コラムなら青森でも書けるし、大学時代に交際していた彼も待っているし」と青森に戻り、27歳で結婚。
書くことの面白さに目覚めた山田スイッチさんは、読売新聞青森県版で『山田スイッチのTHE青森暮らし』を連載し、今年(2021年)で15周年! 同居するパワフルな祖母を書いた『うちのバッチャ』は、自費出版ながら県内だけで3000部も売れた人気シリーズになっています。
そんな山田スイッチさんが、どうして縄文にハマったのでしょうか?
「青森県では名もない遺跡も含めると、3700もの縄文遺跡が見つかっているのです。長男を出産した15年ほど前、このたび世界遺産に選ばれた小牧野遺跡を見に出かけたとき、小高い丘にストーンサークルがあって、あまりに神秘的で、思わず中心の大きな石に抱きついてしまったのです。それ以来、縄文の魅力に取り憑かれています」
世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中心にある青森は、豪雪地帯で知られています。そのため「縄文人は寒さに強かったのか」と思いますが、「縄文時代はいまよりも気温が2度高く、青森は冬でも暮らしやすい場所だったのですよ。三内丸山遺跡のような巨大な建造物が建っていましたから、青森が日本の中心都市だったのかも知れませんね」と、山田スイッチさんは笑顔で言います。
縄文時代は、栗やクルミなどの木の実が採れ、川には鮭が遡上し、山で猪や鹿を狩猟したり、海岸では貝がたくさん獲れました。人口も少なく、それぞれの集落には数十人~数百人が暮らしていたそうです。喧嘩や揉めごとはあったかも知れませんが、戦はありませんでした。
平和で温暖で、食べ物が豊富だったから、縄文時代は1万年以上も続いたと考えられているそうです。さらに、「縄文人は悩みも少なかった」と山田スイッチさんは推測します。
「縄文人は生きるために、川で魚を捕り、土器で煮炊きをし、服を織り、自然と触れ合って生きていました。働くことはすなわち生きることだったのですね。現代人が失ったものが、縄文時代にはすべてあると私は思っています。豊かな生活のなかで縄文人はのびのびと暮らし、悩むことも少なかったと思うのです。ただ、寿命は短いため30歳ほどでしたが、1日が長くて充実していたのではないかな……」
いま大ブームのソロキャンプも、縄文文化への回帰かも知れません。山田スイッチさんも、庭に建てた竪穴式住居でソロキャンプをします。
「再現した縄文土器でお湯を沸かしてみたら、30分もかかったのですよ。現代と違って、縄文の時間はゆっくりと流れていたのだろうなと思います。時間に追われてスマホの画面ばかり見ている現代人は、悩みが多く、心を閉ざしがちな人が増えていると聞くことがあります。縄文人が愛したパワーあふれる青森に、現代人の心を癒す場所を将来、つくってみたいのです。それがいまの私の夢ですね」
山田スイッチさんは44歳、2児の母ですが、いまも夢多き少女のまま、その夢は尽きることがありません。
https://yamadaswitch.stores.jp
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