それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
東京駅から北陸新幹線でおよそ1時間半の城下町、信州・上田。
上田駅前から路線バスに揺られて30分ほどの場所にある長野県・青木村は、のどかな里山の風景が広がる人口4000人あまりの小さな村です。村には国宝に指定された三重塔がある他、いくつかの温泉が点在しています。
なかでも、標高およそ750メートルのところに湧き出す田沢温泉は、飛鳥時代から続くという、ちょうど体温ぐらいのぬるめの名湯。3軒しかない小さな温泉街を訪ねると、その瞬間からふんわりとした硫黄系の優しい湯の香が感じられます。
そのうちの1軒、「富士屋」の経営を1年前から任されているのが、武井功さん・60歳です。
武井さんはもともと、同じ信州・上山田温泉にあったお宿の2代目でした。お父様は、大根のしぼり汁に味噌を溶かしたつけ汁でいただくご当地うどん、「おしぼりうどん」を発掘するなど、旅好きから愛される宿をつくり上げてきました。
そんなお父様の志を胸に、宿の経営を受け継いだ武井さんですが、受け継いだときには借入金が膨れ上がってしまっていました。必死で建て直しに奔走しますが、収入はどんどんお金の返済に消えていきます。
4年前、金融機関との交渉が不調に終わると、ついに宿は競売へ出されてしまいます。程なく、武井さんが愛情をこめて旅人をもてなしてきた温泉宿は、他人の手に渡ってしまいました。
多くの人の思い出が詰まった宿がなくなったことで、武井さんには周囲から厳しい声が浴びせられました。それでも武井さんは、1つ1つの声を甘んじて受け入れたそうです。一方で、宿の破産手続きすらままならず、アルバイトで何とか生き抜く日々。あらゆる会社の面接も受けましたが、55歳を超えた男性の働き口はありませんでした。
そんなどん底にいた武井さんを、さらに体の異変が襲います。まぶたの上にしこりがあるのに気付いた武井さんは、病院へ駆け込みました。お医者さんの診断は悪性腫瘍・がん。手術や治療の費用を捻出すると、手持ちのお金はほとんど底をついてしまいました。
がんの治療が落ち着いたころ、武井さんの知り合いから1本の電話が入りました。
「魚屋さんの営業をやりませんか? 武井さんは旅館関係に強いですよね?」
海のない信州ですが、ご当地ブランド・信州サーモンや、イワナをはじめとした川魚の養殖は盛んに行われています。信州の宿の夕食ではお造りや焼き魚が定番となっていることから、旅館業に精通した武井さんに養殖業者の方からお声がかかったのです。
魚屋さんの営業マンとして、武井さんは信州各地の宿に足を運んでいきました。さまざまな宿に通ううち、いままでは見えなかった「宿のいいところ・悪いところ」がハッキリ見えるようになっていきました。
その的確なアドバイスは、自然とコンサルタント業に発展していきます。温泉宿の酸いも甘いもかみ分けてきた武井さんは、重宝される存在となります。そんな折、1軒の温泉宿から相談を受けたそうです。
「後継者がいないんです。経営を受け継いでもらえませんか?」
依頼主は、いま武井さんが社長を務める宿の御主人からでした。訊けば平成の30年間、一度も黒字化したことがなく、建物も至るところが傷んでおり、決して経営が楽ではない宿でした。それでも武井さんは、自分を頼ってくれる人がいたことに嬉しくなりました。
「捨てる神あれば拾う神ありとは、このことなのかも知れない」
およそ2年かけて「田沢温泉・富士屋」の経営を受け継いだ武井さんは、玄関をリニューアルし、古い畳を入れ替えるなど、少しずつ宿の再生を始めています。秋本番には地元・信州の味覚、松茸づくしコースも始めました。
再生を進めていくうちに、インターネット予約サイトの口コミ評価はみるみる上昇して、地域の温泉宿でも上位にランクインされるようになりました。これからも古い建物のよさを活かしながら、時代に合ったアメニティを提供できるよう宿のブラッシュアップを続けていきたいと、武井さんは意気込んでいます。
いま、武井さんは時間が許す限り富士屋の玄関に立って、お客様のお出迎え、お見送り、時には青木村のバスターミナルまでクルマで送り迎えも担当しています。見送るお客様から笑顔がこぼれると、1つの思いが湧き上がってくるのを感じます。
「やっぱり私は、旅館業が好きだ!」
武井さんの旅人を思う心は、きょうもかけ流しです。
番組情報
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