「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
東海道本線・大船駅の名物駅弁「鯵の押寿し」。大正2(1913)年に登場した駅弁で、来年(2023年)には110年を迎えるロングセラーです。この駅弁が発売された背景には、大船軒の創業者・富岡周蔵の、いまの時代にも相通じるアイディアが隠されていました。なぜ、大船軒は「鯵の押寿し」を開発することになったのでしょうか?
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第39弾・大船軒編(第3回/全6回)
在来線特急最長となる14両編成の「踊り子」号が、相模川(馬入川)を渡っていきます。途中の熱海で分割・併合が行われており、グリーン車を連結した前9両は伊東線・伊豆急行線へ直通する伊豆急下田発着。後5両は、三島・伊豆箱根鉄道駿豆線へ直通して修善寺発着となります。とくに昼前後に運行される列車は、伊豆・箱根周辺の温泉宿を楽しむお客さんでにぎわいます。
「踊り子」号も停まる大船を拠点に、藤沢、茅ケ崎、鎌倉をはじめとした、神奈川・湘南で、100年以上にわたって駅弁の歴史を紡いできた「株式会社大船軒」。明治時代に日本で駅弁としては初めてのサンドウィッチを発売しましたが、大正時代に入ると一転、「鯵の押寿し」を開発し、いまもなお、売れ続けるロングセラー駅弁となりました。この開発の背景を、大船軒の今野高之代表取締役社長に伺いました。
●捨てられていた「小鯵」に着目、ブランド化に成功!
―「鯵の押寿し」も富岡周蔵氏の発案と聞いていますが、できたきっかけは?
今野:大船軒のサンドウィッチが人気になりますと、駅弁各社が挙って類似品を出すようになりました。サンドウィッチの独占が崩れてしまい、あまり珍しくなくなってしまったんです。そこで周蔵が新たな名物として開発したのが「鯵の押寿し」です。当時、神奈川は全国一のアジの水揚げを誇ったと言います。ただ、当時のアジは雑魚として捨てられることも多く、港で捨てられているアジを見て、これを商品化できないかと思いついたと言います。
―当時はどんなアジを使っていたんですか?
今野:小鯵です。冷蔵技術がない当時、アジは保存性を高めるため、「開き」にするのが一般的で、開くにも開けない小鯵は使い物にならず、捨てられていたのかも知れません。余りものですから、アジの種類もそんなにこだわっていなかったと思いますが、ひと口大の酢飯に載せることを考え、体長8~9cmの小鯵にこだわって、使っていたようです。捨てられるものを商品化してブランド化したわけですから、周蔵はアイデアマンですよね!
●安全で食べやすさを追求した「鯵の押寿し」!
―「関東風に握って、関西風に押す」という独特の製法は、どうして生まれたんですか?
今野:富岡周蔵夫妻を考えますと、周蔵が関東、奥様が西日本の方です。周蔵はにぎり、奥様のキンさんは押寿しが一般的だったのではないかと思われます。加えて衛生面では、押すことで米粒の間の空気が抜けて保存性が高まる利点もあります。一方で、国府津の駅弁屋さんが、既に鯵寿司を販売していたこともあり、差別化を図ったことも考えられます。この米粒が潰れない程度に押す製法は、当初から変えずにいまも守られています。
―しかも、食べやすい大きさですよね。
今野:発売当初からひと口大の押寿しとして生まれたのも特筆すべきところです。富山駅弁・源さんの「ますのすし」をはじめとした一般的な押寿しでは大きな寿司となりますが、周蔵が作った「鯵の押寿し」は、切り分けることなくいただくことができます。この辺りにも、サンドウィッチで培われた片手で食べられる「食べやすさ」が反映されたのではないかと、みています。
●鎌倉のソウルフードになっている「鯵の押寿し」!
―昔、「鯵の押寿し」をお求めになったお客様の反応は伝わっていますか?
今野:残念ながら、当時の反響が記された文献は残っておりません。ただ、現在まで続くロングセラーになっていることを考えますと、多くの方にお召し上がりいただいたのではないかと思います。弊社の従業員にも子どものころに「鯵の押寿し」を食べている写真を持っている者がいます。「そのときから鯵の押寿しが大好きなので大船軒で働いています」と話しているほどです。「鯵の押寿し」は、鎌倉のソウルフードと言っても過言ではありません。
―最近は、掛け紙の復刻も多いですね?
今野:じつは弊社の掛け紙の保存状態は決していいとは言えず、復刻で出している昔の掛け紙の版木も、それだけではいつのものか分かりませんでした。ただ、版木に貼られていた当時の時刻表から、いつごろのものか推測がついたほどです。ちなみに、発売当時の「鯵の押寿し」の掛け紙は、宮島口駅弁の「うえの」さんが、大切に保管されていました。それと照らし合わせて補いながら、復刻駅弁を出すことができたんです。
港で余っていた小鯵を使って開発されたという大船軒の名物「鯵の押寿し」。現在は、「伝承 鯵の押寿し」(1380円)で、小鯵の押寿しをいただくことができます。かつては、「特上 鯵の押寿し」の名前でも親しまれていましたが、商品名に関する法律の規制が、厳しくなったために、いまでは発売当時の味を伝える駅弁ということで、「伝承 鯵の押寿し」になりました。
【おしながき】
・鯵の押寿し(酢飯、小鯵)
・醤油
・ガリ
中鯵を使った「鯵の押寿し」とは、少し食感が異なる、小鯵を使った「伝承 鯵の押寿し」。小鯵は半身に加工されたものを、さらに半身に開いて作られるため、1匹の小鯵からは、2カン分の身しかとることができません。大船軒でも誰がこの開き方を考えたかは分からないそうですが、半身のアジをそのまま使うより、見た目も食感も、一層美味しくなるそう。じつは押寿しで安全性を高めつつ、見た目にもこだわった「技」が詰まった駅弁なんです。
新宿経由で高崎まで直通する湘南新宿ラインの「特別快速」が大船駅に入ってきました。近くの大船軒本社にある「茶のみ処大船軒」(木・金・土・日の11時~15時営業)では、“押す前の鯵の押寿し”が食べられます。酢の沁み具合が違うため、味わいも、駅弁とは若干異なるのが面白いところ。大船軒によると、地方からお見えになるお客様が多いそう。じつは、駅弁との「味の違い」も楽しむことができる、出来立ての「鯵の押寿し」です。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/