東京の駅弁屋さんの調理場にいまも名を残す、あの名列車とは?

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【ライター望月の駅弁膝栗毛】
「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。

EF81形電気機関車+24系客車・寝台特急「北斗星」、東北本線・福島駅(2010年撮影)

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JRが発足してから三度目となる卯年。国鉄がJRになる日には、TV各局が年末年始の年越しのような特別番組を放送、大きな熱気に包まれていたような記憶があります。そのなかで、全国に広大なネットワークを持っていた日本食堂も、地域ごとに分割されました。日本食堂のまま残った東日本エリアは、のちに日本レストランエンタプライズとして発展、列車食堂・駅弁の新たな道を模索していきました。

651系電車・特急「草津」、東北本線・尾久~赤羽間

651系電車・特急「草津」、東北本線・尾久~赤羽間

「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第40弾・日本ばし大増編(第4回/全6回)

東京と群馬の温泉地を乗り換えなしで結ぶ特急「草津」が、東北本線尾久駅の近くを、駆け抜けていきます。この「草津」号として活躍している651系電車は、JR東日本最初の特急形車両として、平成元(1989)年に常磐線の「スーパーひたち」でデビューしました。平成26(2014)年からは、高崎線特急「草津」「あかぎ」などで活躍してきましたが、3月のダイヤ改正以降は、E257系電車に世代交代が予定されています。

日本ばし大増・穐山社長

日本ばし大増・穐山社長

この尾久駅近くにあるのが、東京駅をはじめとした首都圏主要駅の駅弁を製造している「株式会社日本ばし大増」です。いまではJR東日本クロスステーションの子会社となっていますが、前身の1つとなった「日本食堂」は、JR発足直後から平成の初めごろはまだ、JRとは資本関係のない会社として運営されていました。日本ばし大増・穐山健輔社長のインタビュー3回目は、80年代終わりから2000年代初頭までのお話です。

200系新幹線電車「やまびこ」、東北新幹線・東京駅(2003年撮影)

200系新幹線電車「やまびこ」、東北新幹線・東京駅(2003年撮影)

●国鉄分割民営化で、「日本食堂」も分割

―昭和62(1987)年のJR発足後、「日本食堂」も地域ごとに分かれたそうですね?

穐山:国鉄からJRになった昭和62(1987)年6月、北海道エリアが「にっしょく北海道」、九州エリアが「にっしょく九州」として独立しました。翌年6月には、東海エリアが「ジェイダイナー東海(現・ジェイアール東海パッセンジャーズ)」、西日本エリアが「にっしょく西日本(現・ジェイアール西日本フードサービスネット)」として独立しました。「日本食堂」として残った東日本エリアは、従業員が約3分の1、事業規模約40%で再スタートとなりました。

―ただ、「日本食堂」は、JR東日本グループとなるまでにご苦労もあったようですね?

穐山:日本食堂が、戦前の列車食堂営業者6社によって生まれた会社ですから、国鉄の資本は入っていませんでした。このため、JR東日本は日本食堂の株を1株も持っていなかったんです。一方、JR東日本も直営のレストラン会社を設立するなど、新しい事業を積極的に行っていました。このままでは、新しい時代の波に飲み込まれてしまうと、当時の経営陣は非常に危機感を持って経営に当たられたと聞いています。

EF81形電気機関車+24系客車・寝台特急「北斗星」、東北本線・福島駅(2010年撮影)

画像を見る(全11枚) EF81形電気機関車+24系客車・寝台特急「北斗星」、東北本線・福島駅(2010年撮影)

●日本食堂の誇りとなった、食堂車「グランシャリオ」!

―会社としては大変な時期でしたが、寝台特急「北斗星」の食堂車・グランシャリオは、大きな話題になりました。

穐山:昭和63(1988)年、青函トンネルの開業と共に運行を開始した寝台特急「北斗星」(上野~札幌間)に食堂車「グランシャリオ」が誕生して、日本食堂が担当いたしました。当時の写真もたくさん残っていますが、蝶ネクタイを締めて接客に当たるスタッフの顔が皆、自信に満ち溢れているんです。会社の規模は変わっても、日本食堂はまだ世の中に果たす役割があると、改めて誇りを持った出来事ではないかと思います。

寝台特急「北斗星」の食堂車・グランシャリオ(2006年撮影)

寝台特急「北斗星」の食堂車・グランシャリオ(2006年撮影)

―食堂車で使う食材の仕込みも、この尾久の工場で行われていたんですか?

穐山:平成2(1990)年に、この尾久の日本食堂調理センター(当時)が稼働してからは、ここで仕込みが行われてきました。いまも、調理場には「北斗」と名付けられた食堂車で使う食材の下ごしらえが行われていた専用のフロアがあります。とくに、懐石御膳は作り上げてから、尾久客車区(現・尾久車両センター)で積み込みました。いまも(団体臨時列車・カシオペア紀行等の)料理の仕込みは、ここで行われています。

高価格駅弁の象徴的存在だった「極附弁当」(3800円、2006年撮影)

高価格駅弁の象徴的存在だった「極附弁当」(3800円、2006年撮影)

●試行錯誤のなかから見つけた、駅弁の新たな道筋!

―この北斗星の懐石御膳を開発された料理長さんが、駅弁を担当されるようになって、大きく変わっていったそうですね。

穐山:1990年代は新幹線のビュフェ営業も少なくなり、駅弁は、単に「移動中の食事」と捉えられていた時代でした。さらに駅ナカにさまざまな店が進出しコンビニタイプの店舗も増え、駅弁業者は立ち位置が非常に難しい時期でした。当時の日本食堂(98年からNRE)は日本の「駅弁」はどうあるべきか苦労しながら再構築していきました。そのなかで駅弁とは「地域の食文化」であると再定義いたしまして、ふたを開けてアッと驚く、しかも、冷めても美味しい、当時としては高単価な駅弁という方向性が見えてきました。

―高価格帯の弁当にたどり着くまでに、さまざまな試行錯誤があったと思いますが、安価な冷凍弁当だった「O-bento」も、その1つでしょうか?

穐山:「O-bento」は、アメリカの現地法人で生産、日本に輸入して販売しました。当時は「FRESH&HEALTHY」という標語の下、需要が安定しないなかでも鮮度を保つため、冷凍技術によって、常に温かく、オーガニックで、フードロスも抑えた弁当を目指していました。(コロナ禍で冷凍駅弁が増えましたが)先進的な取り組みだったと思いますし、販売方法も安価な弁当より、アメリカ産ならではの高付加価値弁当にしてもよかったかと思います。

季節弁当 冬の彩り

季節弁当 冬の彩り

日本食堂改め日本レストランエンタプライズ(NRE)が、それまでの駅弁のあり方を見直し、平成12(2000)年の秋から新たに送り出したのが、季節の吹き寄せ弁当シリーズでした。第1弾は、「秋露のささやき」と名付けられ好評を博します。現在も「日本ばし大増」では、工夫を凝らした季節弁当を製造しており、この冬は「季節弁当 冬の彩り」(1500円)が、首都圏主要駅の駅弁売店に並んでいます。

季節弁当 冬の彩り

季節弁当 冬の彩り

【おしながき】
・ぶり柚香焼
・いかメンチ
・笹蒲鉾柚子風味
・はすきんぴら
・合鴨辛子風味
・玉子焼
・切干大根と昆布の和え物
・はじかみ
・江戸うま煮
蒟蒻、牛蒡、南瓜、人参、蟹入り信田巻、絹さや
・茶飯
帆立煮、錦糸玉子、せり漬、飾り人参
・黒豆蜜煮

季節弁当 冬の彩り

季節弁当 冬の彩り

“冬の彩り”のネーミングに相応しく、ふたを開けた瞬間から、明るい雰囲気が広がります。メインのご飯は、茶飯の上に錦糸玉子が敷き詰められ、帆立とせり、人参が添えられて、つばきやさざんかといった冬の花を想起させます。焼き魚も冬らしく脂がのったブリが、柚子の香りに包まれて食欲をそそります。そして、日本ばし大増自慢の煮物には、蟹入りの信田巻が季節感を演出。寒い冬でも、自然と出かけたくなる気分が高まってきます。

255系電車・特急「しおさい」、総武本線・新小岩~小岩間

255系電車・特急「しおさい」、総武本線・新小岩~小岩間

首都圏で、冬の彩りが豊かなエリアと言えば、千葉・房総半島です。南房総では花摘み、総武本線沿線でもいちご狩りなどが楽しめるエリアがあり、ひと足早い春を感じることができます。現在は、総武本線の特急「しおさい」を中心に活躍する255系電車も“房総ビューエクスプレス”の愛称で登場以来、今年(2023年)で30年。東京都内で菜の花カラーの車両を見かけると、お出かけ気分が高まります。次回は日本ばし大増の“こだわり”を伺います。

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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