昭和のころ「自由席」が生んだ秋田駅の駅弁需要、その理由は?
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「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
その昔、国鉄特急といえば指定席が当たり前でした。しかし、昭和の後半、“数自慢・カッキリ発車・自由席”を売りにした「L特急」が登場すると、特急でも自由席を連結した列車が増えていきました。じつはこの「自由席」は、駅弁屋さんにとっても、ありがたい存在だったと言います。決して着席保証されていないのに、なぜ「自由席」があると駅弁がよく売れたのでしょうか?
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第41弾・関根屋編(第3回/全6回)
新潟からの特急「いなほ」号が、終着の秋田を目指してラストスパートに入ります。「いなほ」は、昭和57(1982)年の上越新幹線開業までは、上野~秋田・青森間を、上越線・羽越本線経由で運行する特急列車でした。奥羽本線経由で上野~秋田間を結んでいた特急「つばさ」とともに、首都圏と秋田を結ぶ、大事な役割を持っていたわけです。いまも、東北新幹線の不通時などは、首都圏連絡を担った臨時列車が運行されることもあります。
昭和50年代、上野~秋田間の鉄道移動には、羽越本線経由の特急「いなほ」で約7時間半、奥羽本線回りの特急「つばさ」は約8時間を要しました。このため夜を移動時間に充てるべく、寝台特急「あけぼの」(奥羽本線経由)が、3往復運行されていた時期もありました。今回は秋田新幹線開業までの秋田駅における駅弁販売、新幹線開業後の変化などを、株式会社関根屋の金子達也代表取締役に伺いました。
●早朝、秋田に着く夜行列車と、自由席車両でよく売れた駅弁!
―昭和のころ、駅弁は秋田駅でもよく売れましたか?
金子:昭和から平成の初めにかけて駅弁はよく売れていました。これは弊社の売り子がホームで直接販売できたことや駅ビルが未整備だったこと、あとは自由席が多かったことが挙げられます。とはいえ、秋田駅にやって来る優等列車は、1日数本の特急「つばさ」と「いなほ」、東北新幹線開業後は盛岡からの「たざわ」くらいで、あとは夜行列車の「あけぼの」や「日本海」などが中心であり、早朝時間帯がよく売れました。
―自由席が多いと、駅弁が売れたのはなぜですか?
金子:自由席が多い列車では、列車の入線よりかなり早い段階から座席を確保するため、お客様がホームに行列を作りました。この列に並ばれている皆さんに、関根屋の売り子が積極的にお声がけして駅弁をお買い求めいただいていました。在来線特急は乗車時間が長いことに加え、とくに昭和の後半、「L特急」を謳った列車は自由席が多かったんです。後年、全車指定席の列車が増え、ホームに長時間滞在する人が一気に減っていきました。
●3社で切磋琢磨してきた秋田の駅弁!
―秋田駅には、関根屋の他にも構内営業者がいらっしゃいましたね?
金子:東洋軒と伯養軒の秋田支店がありました。東洋軒は弊社より後に駅弁に参入して、90年代まで作られていましたが、廃業に当たっては、弊社で従業員さんを引き受けました。伯養軒は2000年代に泉秋軒(現在は営業終了)が弁当作りを継承。秋田新幹線開業時には日本食堂(後のNRE)が入ってきました。他社さんとは友好関係を保って、情報交換はもちろん、団体のお客様の紹介や欠品時には、互いに協力し合うこともありました。
―昔は各社さん、立ち売りだったんでしょうね。
金子:弊社と東洋軒さんが基本的に立ち売りで、伯養軒さんはホーム売店を持っていました。昔の東北では日本食堂さんが進出していない駅には、大体(日本食堂に出資している)伯養軒さんがあったものです。秋田では、駅弁店の3社体制が続いていたんですが、2010年代に入って1社になったときは、3社でシェアしていた需要を1社で満たす必要が生まれて、当初はキャパシティの面で大変でした。
●新幹線で変わった、駅弁のピーク時間帯!
―いまから40年あまり前、東北新幹線が盛岡まで通りましたが、変化はありましたか?
金子:東北新幹線盛岡開業に伴う「たざわ」の運行開始は、秋田にとってそれほど大きな変化はなく、まだ上野直通の特急「つばさ」や寝台特急「あけぼの」をご利用になる方が多かったと記憶しています。でも、国鉄からJRになって、(在来線を改軌したミニ新幹線方式による)「秋田新幹線」の計画が動き始めてくると、まちの空気も「この列車もいずれ新幹線になるんだよね。アクセスが良くなるね」という期待感が高まっていきました。
―平成9(1997)年の「秋田新幹線」開業、どんな影響がありましたか?
金子:お客様が本当に増えました。とくに秋田駅はビジネス利用の方が大きく増えました。新幹線によって鉄道が仕事で使える移動手段になったんです。それまでビジネス利用は、寝台列車を使われる方が多かったんです。駅弁が売れる時間帯も変わり、朝から(出張の方がお帰りになる)午後・夕方に移りました。まずは始発に合わせて作り、昼に作って、夕方の最大のピークに向け、3つの山を乗り越える形で生産体制を整えていきました。
2022年春、秋田新幹線開業25周年の記念弁当として登場したのが、「秋田牛と岩手黒豚とあきたこまちのお弁当」(1400円)です。赤を基調に新旧「こまち」の車両の写真が使われたスリーブ式の包装にも、「開業25th記念弁当」の文字が燦然と輝きます。昨年の3月22日は、福島県沖地震の被害を受けて、東北新幹線の運転見合わせが続くなかで迎えただけに、今年(2023年)の春は何とか無事であって欲しいという気持ちも大きいことでしょう。
【おしながき】
・白飯(秋田県産あきたこまち)
・秋田牛と筍とささがきごぼうのすき焼き風煮
・岩手黒豚煮
・笹かまぼこ
・ねぎ入り玉子焼き
・いぶり人参
秋田の県庁所在地・秋田市と、岩手の県庁所在地・盛岡市を結ぶ形で運行されている秋田新幹線「こまち」。記念弁当らしく、秋田牛と岩手黒豚という2つの県を代表するブランド食材を、秋田県産・あきたこまちのご飯の上に盛り付けた弁当となっています。これに、仙台名物の笹かまぼこも入れて、盛岡から仙台・東京へとつながるイメージとしたのだそう。明るくお肉たっぷり、いただくだけで元気をいただくことができそうな弁当になっています。
平成9(1997)年に運行を開始した秋田新幹線「こまち」。現在は2代目のE6系新幹線電車が活躍しています。「こまち」の特徴の1つは、大曲駅でのスイッチバック。いまでも、大曲駅で逆向きに走り始めると、初めてと思しき乗客が驚きの声を上げることがあります。次回は、平成14(2002)年に行われた「こまち」全車指定席化の波紋と、「こまち」とともに誕生したリゾート列車によってもたらされた駅弁の変化について、伺ってまいります。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/