それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
根本要さんのふるさと・埼玉県行田市。上野からJR高崎線に乗って1時間ちょっと。熊谷駅の1つ手前が「行田駅」です。ホームに降り立つと、発車メロディーとしてスタレビの『夢伝説』が流れます。
駅前の観光案内所で地図やパンフレットを見れば、行田市は知れば知るほど歴史の古い街だとわかります。
6月下旬から咲き始める「古代蓮の里」や、9つの大型古墳が見られる「さきたま古墳公園」。埼玉県の名前の発祥となった「前玉神社」。映画『のぼうの城』の舞台「忍城」。
また、行田は日本一の足袋の生産地であり、足袋の倉庫「足袋蔵」がいまも数多く残っています。テレビドラマ『陸王』の舞台にもなりました。
この街で生まれ育った根本要さんが、子どものころからよく食べていたという行田名物「ゼリーフライ」。どんなフライなのでしょうか? 要さんが子どものころから買って食べていたと言われる「肉のヒラノ」へ行ってみることにしました。
「そのお店まで、歩いて何分ですか?」と伺うと、「歩くんですか? 1時間はかかりますよ」と言われます。街の中心は秩父鉄道「行田市駅」の周辺にあり、JR「行田駅」は中心地から4キロほど離れています。
観光案内所のスタッフの方に勧められ、レンタサイクルに乗って「肉のヒラノ」を目指しますが、行けども行けども田んぼです。「だから『行田』なのか?」と思ってしまうほど。
やがて「高源寺」という交差点が見えてきます。そこを左折すると秩父鉄道「行田市駅」方面……街の中心地です。その途中に、要さんのご実家・根本医院があります。交差点を右折すると、目的地である「肉のヒラノ」が見えてきます。
お昼時の忙しいなか、応対してくださったご主人・平野哲也さんは、57歳。
「え、ニッポン放送? 『上ちゃんいま何時?』の上ちゃんの番組なの?」
哲也さんは、早朝の仕込みのときに聞いていただいているそうです。
「要さんは、うちの母と仲がよくてね。子どものころから『要ちゃん! 要ちゃん!』と可愛がっていたんですよ。近くでコンサートがあると、いつもふらっと店に寄ってくれて。『ヒラノのおばちゃん、いる?』『あら、要ちゃん!』ってね」
ところが4年前の1月、寒い夜にお風呂場で倒れ、帰らぬ人に……平野登代子さん、享年78でした。訃報を聞いた要さんは、お線香をあげに来てくれたそうです。
お店の壁には、要さんと登代子さんの仲よく微笑んだ写真が飾られ、スタレビのファンからも「行田のおかあさん」と慕われていました。
「もう10年くらい前かな? スタレビのコンサートが行田であって、ファンの人たちがうちにゼリーフライを買いに来たり、写真を撮ったり。そのなかの1人に、うちの母と仲よくなった女性がいて、毎年、年賀状が届くんです。母が亡くなったあとも……」
その女性に、どうにか母のことを知らせたい。でも、年賀状には郵便番号だけで、住所が書いていないそうです。そこで哲也さんはお店の壁に、目立つように「紙」を貼り出しました。
「スタレビのファンの皆様、伊勢志摩の柴田さんを知っていますか? 知っている人がいたら、母が亡くなったことを教えてください」
すると、しばらくして柴田さんからお線香と手紙が届きました。その手紙には「自分も母の介護でなかなかコンサートに行けず、行田のおかあさんに会えないままお別れしたことが、とても悲しいです」……そんなことが綴られていたそうです。
哲也さんはこの出来事に、「スタレビのファンの皆さんに感謝、ファンの人たちのつながりに感謝。そして、こんな素敵な出会いをくれたスタレビに感謝です」と話してくれました。
「肉のヒラノ」から10分ほどの場所に「さきたま古墳公園」があります。中学時代に陸上部だった要さんは、古墳の周辺をよく走っていたそうです。ここには日本最大の円墳「丸墓山古墳」があって、忍城を水攻めにした石田三成が陣を構えたと言われています。
古墳の上からは行田の街はもちろん、地球がグルっと丸く見渡せます。きっと根本要さんも、幼少期は古墳の上に立ち、果てしない大きな夢を思い描いていたのかも知れません。
■「肉のヒラノ」(平野精肉店)
・住所:埼玉県行田市佐間1−9−10
・定休日:月曜日、第一と第三の木曜日
番組情報
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