「ふるさと工芸士」にも認定 群馬県で唯一「沼田桐下駄」を売るお店
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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
尾瀬の玄関口の1つである群馬県沼田市は、この時期、山歩きの方が目立ちます。沼田は、利根川の河岸段丘の高台に開けた町。その一角に「丸山下駄製造所」があります。
丸山下駄製造所は、群馬県でただ一軒となる「沼田桐下駄」の製造元。ご主人の丸山勝美さんは、昭和13年(1938年)生まれの85歳です。その腕前は、群馬県のふるさと工芸士にも認定された一級品。いまも東京をはじめ、全国から丸山さんの下駄を求めて、足しげく通う常連さんがいます。
沼田の町には古くから木材が集まり、木材の生産や加工が行われてきました。この木を使った下駄づくりも盛んで、最も多いときには8つの下駄屋さんが軒を連ね、約40人の職人が腕を競っていたと言います。丸山下駄製造所も沼田の他に、隣の栃木県に第2工場を構えていました。
丸山さんは、お父様が始められた下駄づくりの店を継いだ2代目。お父様の作業の見よう見まねで腕を磨いていきました。さらにお父様の他、3人の師匠のもとへ出向いて技術を学んでいきます。ついには普段遣いの下駄から高級な下駄まで、下駄づくりの全ての工程を1人でこなせるようになりました。
何年か経ち、自分でつくり上げた下駄を問屋さんへ納めに行くと、問屋のご主人が下駄をじっくり見て、こんなことを言ってくれました。
「丸山さん、すごい腕を持っているねぇ。材料の最もいいところを活かしているよ」
丸山さんはようやく、自分の腕に自信を持つことができました。
「やっと気づいてもらえた。これで、これで私も生きていける!」
「下駄づくり」には、概ね7つの工程があります。最初は原木を「仕入れ」るところから始まり、木を切り分ける「玉切り」、そこから1足分に切り分ける「木取り」を経て、約2年ほど木を寝かせます。
寝かせた木材から下駄の形に切り分ける「三分工程」、形を整える「七分工程」を経て「仕上げ」を行い、「鼻緒を付け」てようやく完成と相成ります。
「沼田桐下駄」の原木は、上越国境・みなかみ町のものにこだわって仕入れます。奥利根の「関東の水がめ」と呼ばれる地域は冬場、たくさんの雪が降ります。それゆえ、群馬の他の地域よりも木々の成長が遅く、きめの細かい木目が生まれて、下駄として使うのにちょうどいい「堅さ」の木材になるのです。
一方、職人の腕の見せどころは「七分工程」。特に下駄の歯と歯の間の裏側を削る作業は、熟練の技術を必要とします。また、鼻緒の穴を開ける作業も気を遣います。それというのも、穴の開け方が履き心地に直結するからです。
「この下駄、履きやすいよ!」
1つ1つ、丹精込めてつくり上げた下駄を手にした方からそんな声が聞こえると、丸山さんは嬉しさが込み上げてくると言います。
かつて下駄づくりは年末年始が最も忙しい時期でした。正月に集まった子どもたちに対し、下駄を贈る風習があったからだと言われています。丸山さんも年末は除夜の鐘が鳴るまで仕事し、正月はお雑煮を食べたら、すぐ仕事に取り掛かるほどでした。
現在は夏祭りやお盆を前にした5月~7月の初めにかけてが、下駄屋さんが1年で最も忙しい時期です。しかし、コロナ禍ではお祭りなどが中止に追い込まれ、下駄の需要も減ってしまいました。
丸山さんのお店では室内履きの下駄や、外反母趾対策を行った下駄を新たに開発するなど、ユニークなアイデアで何とか乗り切ってきました。
ただ、「沼田桐下駄」の技術継承は厳しい状況にあります。弟子を取った時期もありましたが、あまり上手くいきませんでした。それでも、丸山さんが手掛ける美しく、軽く、温もりのある下駄を求めて、お店を訪ねる人は絶えることがありません。
丸山さんのお店に来たお客さんは、帰るときに必ずこんな言葉をかけて下さるそうです。
「いつまでもご丈夫でいてください」
その言葉に丸山さんは幸せを嚙みしめながら、きょうも心を込めて下駄づくりに励みます。
番組情報
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