「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
旧盆の時期、この夏は、久しぶりに、地元の「盆踊り」に参加される方もいることでしょう。盆踊りに欠かせないのがふるさとの民謡。国鉄時代からJR発足直後まで東北新幹線(盛岡以南)の車内放送では、地域の民謡などをベースにした「ふるさとチャイム」で駅の案内が行われてきました。2022年には緑の新幹線とともに「ふるさとチャイム」も復活したのも記憶に新しいところ。今回は、八戸の民謡にちなんだ名物駅弁に注目します。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第44弾・吉田屋編(第3回/全6回)
朝の八戸駅をパープルの帯を巻いた「はやぶさ」号が、北海道へ向けて発車していきます。東北新幹線・八戸駅は、令和4(2022)年12月で開業20周年を迎えました。これを記念して駅の発車メロディが、地元の民謡「八戸小唄」に変更されました。仙台・東京方面のホームは三味線調、新青森・新函館北斗方面のホームはシンセサイザー調となっています。改札外の待合室入口には、八戸小唄の歌詞が掲げられました。
「八戸小唄」が、全国区の知名度を誇る民謡になったきっかけは、何といっても、昭和36(1961)年に誕生した八戸駅の名物駅弁「八戸小唄寿司」(1280円)の存在でしょう。この「八戸小唄寿司」を製造する株式会社吉田屋の6代目・吉田広城代表取締役社長に、昭和30年代の尻内駅(現・八戸駅)の状況、駅弁誕生の経緯、ヒットのきっかけ、そしてロングセラー駅弁ならではのご苦労についてお話しいただきました。
●八戸小唄寿司の考案に当たった「アイディア・グループ」とは?
―昭和30(1955)年、尻内駅がある上長苗代村が昭和の大合併で「八戸市」となります。そのころは、どんな形で営業されていましたか?
吉田:駅弁の立ち売りはもちろん、駅そばもやっていたようです。しかし、だんだん国鉄の退職者の方の受け皿などとして、鉄道弘済会の売店(後のキヨスク)ができるなど、構内営業者の商売の幅は狭まっていきました。東北地方は、仙台を拠点とする伯養軒(当時)さんが各地の駅に支店を出されていて、戦後は八戸支店もありましたので、その影響も少なからず受けました。駅前旅館は新幹線開業前まで続けていました。
―昭和33(1958)年には東京以北初の特急列車「はつかり」が運行開始します。この年、若手有志の「アイディア・グループ」という集団が集まって、いまも続くロングセラー駅弁「八戸小唄寿司」の開発を始めたそうですが、これはどんな人たちだったのですか?
吉田:八戸JC(青年会議所)のメンバーからなる外部団体と聞いています。「八戸の名物となる駅弁を作ろう」と数人の有志が集まったそうです。会長をやっていたのが、市内の「熊さん株式会社」という製麺会社の杉本社長(故人)でした。それまでの普通弁当(幕の内)から、各地の特長を活かした特殊弁当を作っていこうという(国鉄全体の)潮流がありました。その流れのなかで、「八戸小唄寿司」が開発されることになりました。
●紅鮭への切り替え、駅弁大会での実演で人気駅弁へ!
―当時の「八戸小唄寿司」は、どんなものだったんですか?
吉田:いまは「鯖と紅鮭」ですが、当時は「鯖とひめます」でした。ひめますは十和田湖ゆかりの魚です。ただ、ひめますは作るときこそ薄いピンク色ですが、酢で〆て時間を置くとグレーに変わるため、最初は全く売れませんでした。約3年後、ひめますを紅鮭に変えると味・色のコントラストが高く評価され、よく売れるようになりました。昭和38(1963)年の横浜高島屋の駅弁大会でも飛ぶように売れて、有名駅弁の仲間入りを果たすことができました。
―「八戸小唄寿司」の製造では、どんなこだわりがありますか?
吉田:味を変えないことです。ただ、“出口”としての味を変えないという意味で、食材は変わっています。米の品種も昔は「むつほまれ」でしたが、いまは「まっしぐら」です。魚の脂質も同じではなく、鯖(の脂の乗り)は変わっています。それでもお客様が小唄寿司を召し上がったときの甘さや塩味、酢の具合などを工夫することで、最終的に「同じ味」になるようにしています。味を変えないということは、昔と同じ分量で作るということではないんです。
●「味を変えない」ための努力が実ったロングセラー!
―ロングセラー駅弁ならではのご苦労がありますよね?
吉田:(お客様の)ノスタルジーも大きいです。ロングセラー商品を下手に変えてしまうと、いまのファンがいなくなってしまいます。しかし(変えるべきときには)思い切って変えていかないと新しいファンを作ることはできません。私も社長に就任してから間もなく25年ですが、「八戸小唄寿司」だけは、現代風にアレンジできませんでした。新たに「特選八戸小唄寿司」は開発しましたが、もともとの「八戸小唄寿司」の味だけは変えないようにしています。
発売から60年以上続くロングセラー駅弁「八戸小唄寿司」は、いまも八戸駅では、人気ナンバー1の駅弁です。そのユニークさは何と言っても、三味線の胴をかたどった容器に、押寿司を切る「三味線のばち」がナイフ代わりに入っていることです。中蓋にデザインされている3本の細長い突起は、以前、木材の容器だった時代は、棒状の木を3本貼って、三味線をイメージしていたものだと言います。
【おしながき】
・酢飯
・〆鯖
・〆紅鮭
・醤油
・ガリ
包装を開けると、酢の香りがフワッと広がり、食欲をそそります。そして真ん中の鮮やかなサーモンピンクと、その脇を固める鯖とのコントラストが美しいですね。確かに昔、〆鯖をいただいたときは酢の印象が強かったもの。しかし、改めていただくと、脂がのった鯖が、いまどきの食感を生み出していました。この辺りにある時代の変化と、人間のノスタルジーとのせめぎ合い。じつは“駅弁も生き物”と言えましょう。
八戸駅からは下北半島へ向かう大湊線への直通列車が運行されています。定期列車の快速「しもきた」に加え、平成22(2010)年の東北新幹線全線開業時からは、観光列車「リゾートあすなろ」が運行されてきましたが、残念ながら8月20日で最終運行を迎えます。今後は、「ひなび(陽旅)」という列車に改造を受け、北東北を走る予定とのこと。次回は、東北新幹線八戸開業から約20年間の「駅弁」を取り巻く環境の変化について伺います。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/