日産再生、工場閉鎖のリスクとハードル
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ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム「報道部畑中デスクの独り言」(第419回)
「(工場閉鎖には)国内も入っている。グローバルに評価をした。車両組立工場の門構えを見直し、パワートレーン工場の最適化をしていく」
日産自動車の再建計画「RE:NISSAN」が発表されてから10日あまり。計画では国内外17の車両組立工場のうち、7工場の閉鎖が示され、イヴァン・エスピノーサ社長はその中に日本国内の工場も含まれると明言しました。

日産自動車本社
日本にある車両工場は追浜、栃木、九州、日産車体湘南、日産車体九州の5つ。ほどなくして、閉鎖の案に追浜と日産車体湘南が含まれていることが報じられました。これについて、日産は「憶測に基づくもので当社から発表した情報ではない。現時点でお伝えできることはない」としていますが、5つのうちの少なくとも1つは閉鎖の憂き目にあうということで、地元では動揺が広がっています。
■最新の生産技術「栃木」、アジアを担う重要拠点「九州」
自動車に限らず、モノづくりの工場にはそれぞれの役割や機能を担っています。日産の栃木工場は1968年に完成し、年間19万3000台の生産能力、5300名の従業員を持ちます。スポーツカーや高級車主体の工場で、生産車両はアリア、GT-R、フェアレディZ、スカイライン。2025年度に投入される「新型リーフ」もこの工場で生産される予定です。また、インテリジェントファクトリーでは電動化のほか二酸化炭素排出量を抑えるなどの最新の生産技術が導入されています。
続いて、福岡県苅田町にある九州工場。運営するのは子会社である日産自動車九州で1975年から操業、年間50万台という国内の工場では最大の生産能力を持ち、従業員は4500名です。セレナ、エクストレイル、海外車種のローグを生産、九州という立地から、部品調達、輸出拠点としても重要な位置を占めます。また、日産自動車は横浜が発祥と言われますが、前身である戸畑鋳物は福岡県北九州市戸畑区にありました。それが縁で誘致を受け、近隣の苅田町で工場建設に至ったわけです。つまり、日産にとって“源流”の一つである場所と言えます。
■グループの中核、忠誠を尽くす日産車体の工場
日産グループの中核を担う日産車体。本社は神奈川県平塚市で、隣接して湘南工場が存在します。前身である新日国工業から続いている工場で、日産車は1951年のパトロール、の生産に端を発します。現状の生産車両はAD、NV200バネットの商用車ですが、ADは生産終了、NV200バネットも終了の可能性が取り沙汰されています。
日産車体にはもう一つ工場があります。日産の九州工場に隣接する日産車体九州の工場。国内でも販売するエルグランド、キャラバンのほか、パトロール、アルマーダ、インフィニティブランドのQX80を生産します。日産車体は湘南、九州工場を合わせて商用車、フルサイズの大型SUV、大型ミニバンという、比較的「少量生産」の車種を展開しています。特に商用車は将来の電動化、知能化では大きな可能性があると言われています。
■研究施設、テストコース、専用埠頭、マザープラント…様々な顔を持つ「追浜」
そして、神奈川県横須賀市にある追浜工場。1961年に完成し、長らく日産の主力工場として操業を続けてきました。現在はコンパクトカーのノートとノートオーラを生産、年間24万台の生産能力を持ち、3900名の従業員がいます。ここには工場のほか、研究施設、「GRANDRIVE」と呼ばれるテストコース、輸出拠点となる専用埠頭があります。また、海外展開の際、新製品や生産技術などのノウハウを伝える「マザー工場」としての役割をもっています。
最新技術、研究拠点、調達拠点、そして、発祥の地としての歴史……、5つの工場にはそれぞれの特性があります。工場閉鎖と言っても、一つの工場を廃止して、車両は別の工場に移せばいいという単純なものではなく、こうした複合的な要素を再配置する作業が待っているわけです。文字通りのリストラ=restructuring(事業再構築)で、当然、再配置には相応のコストがかかります。特に追浜が持つ研究施設、テストコース、専用埠頭は他の拠点でどこまで代替できるのか、例えばテストコースは栃木工場で代替できるのか、研究施設は横浜工場や厚木市のテクニカルセンターに移せるのか……、再配置のメリットとデメリットを天秤にかけながらの議論が社内の「迅速対応チーム」を中心に進められていることでしょう。
■リストラとともに大切なもの…日産は理解できるか
さらに、コストの面だけではない「おカネで買えない財産」を失うリスクも伴います。日産の有力関連企業のOBは、基幹部品の共同開発で追浜工場の研究施設、テストコースと緊密に連携していたと言います。「品質の重要な砦だった」とも語ります。
何よりも懸念されるのは、開発・生産技術に関する人材の流出です。稼働率は低いものの、これからの電動化に向けた人材を抱えている工場であり、OBは知的財産の面で損失は免れないと指摘します。例えば、価格競争では厳しい戦いを強いられている日産のEVですが、現時点で発火事故などの重大な不具合は報告されていません。逆に言えば、こうした「虎の子の技術」を狙っている企業があるということです。
同じ神奈川県では1995年に座間工場が閉鎖されましたが、現在は一部の区画を「座間事業所」として、新型車の試作、金型や車体組立設備の製作、EV用モーターやインバーターの開発を行っています。工場を閉鎖しても、こうした部門を残し、知的財産を守るという選択肢はあるでしょう。
生き残るために何を残し、何を捨てるのかという議論も必要になってきます。車種を整理するにしても、プレミアムブランドを目指すのか、フルラインを目指すのか、普及車中心で行くのか、電動化や知能化で可能性を持つ商用車部門を縮小してよいのか……。また、技術開発に集中し、生産を他に委託する方法もあるでしょう(現に軽自動車の生産は三菱自動車の水島工場が担っています)。逆に技術開発部門をなくし、いわゆる「アセンブラ(組立工場)」に徹するのか……様々な生き残りの手段はあれど、結局は日産がどんな会社を目指すのか、リストラにも理念が求められるということです。
一方、従業員からは「何も聞かされていない」という声が出ています。そんな疑心暗鬼の状態では仕事に手がつかないと…。変革の時代、他社はどんどん先を走っています。そんな中、こんな足元の状態が長く続いていいはずはありません。
いずれにせよ、紡いだ歴史やアイデンティティ、数多の財産をも整理の対象としてテーブルにのせなければならないほど、現在の日産は追い詰められているということでしょう。「慎重かつスピーディに」という難しい決断が求められています。
(了)