姫路駅「あなごめし」(1,000円)~駅弁屋さんの厨房ですよ!(vol.9まねき食品編④)

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【ライター望月の駅弁膝栗毛】

HOT7000系 特急 スーパーはくと 山陽本線 須磨 塩屋

HOT7000系・特急「スーパーはくと」、山陽本線・須磨~塩屋間

姫路駅で山陽新幹線と接続して、鳥取・倉吉へ向かう特急「スーパーはくと」。
京都・大阪から東海道本線・山陽本線を経由、上郡から第3セクターの智頭急行線を通って
因美線で鳥取へ出て、一部の列車は山陰本線の倉吉まで直通します。
流線形の先頭車を持つ智頭急行HOT7000系気動車は、カーブを高速で曲がることが出来る振子式の車両で、姫路~鳥取間をおよそ1時間半で結びます。

まねき食品 竹田典高専務 廣重泰寛料理企画室長

まねき食品・竹田典高専務(左)、廣重泰寛料理企画室長(右)

そんな姫路駅で駅弁を手掛けるのが、明治21(1888)年創業の「まねき食品」。
シリーズ「駅弁屋さんの厨房ですよ!」の第9弾は、「まねき食品」の6代目・竹田典高専務取締役と、駅弁開発に当たっている廣重泰寛企画室長のお2人にお話を伺います。
共に姫路で生まれ育ってきたお2人です。

―今年で創業130周年の「まねき食品」ですが、元々は茶店だったそうですね?

今の姫路駅の近くで「ひさご」という茶店を開いていました。
山陽鉄道(現・山陽本線)開通の際、構内営業の認可を受け、お客様をお招きするという意味を込めて「まねき」という屋号になりました。

―最初の駅弁が「幕の内弁当」だったんですか?

そうなんです。
茶店ではありましたが、どちらかというと割烹料理屋という雰囲気だったといいますので、その料理を詰めた弁当を出したのではないかと思います。

(廣重)
当時は「列車に乗ること」自体がステータスで、ハレの日だったのではないのかと推察します。
せっかく汽車に乗るなら、美味しいものを食べたいというものがあったと思います。
乗る人もいわゆるVIPの方が多かったと思われます。

最初 幕の内弁当

最初の幕の内弁当

―とは言っても、当時としては「高価な駅弁」だったんですよね?

最初は全く売れませんでした。
創業してから5~6年は苦労したといいます。
実は「まねき食品」は3人共同で創業したんですが、結果的に私の先祖だけが残ったんです。
その中で6年目に日清戦争がはじまり、人の動きが活発になって、売れ始めました。(注)
やっぱり軍では、持ち運びが出来る弁当が重宝されたんです。

加えて、姫路駅がターミナル駅になっていったのが大きいと思います。
山陽鉄道から始まって、播但線、姫新線といった支線が出来ていきました。
それでお客さんが増えていきました。

(注)日清戦争(1894~95)では、広島に大本営が置かれた。
当時は、東京から繋がる鉄道の最西端が広島だった。

―姫路の駅弁屋さんは、ずっと「まねき食品」だけですか?

姫路ではずっと独占でやらせてもらってきました。
最初は後に弘済会(キヨスク)などが販売する新聞やアイスクリーム、中華まんなどを販売する売店まで担っていました。
代々、国鉄やJRさんとしっかり太いパイプを築いてきたのが大きいかなと思います。

あと、今でもそうですが、鉄道会社にとって一番大事なことは「安全」なんです。
ただ売り上げが伸びればいいというものでもありません。
まず、安全な運行あっての“流通”といった、鉄道会社の軒下でやる意味を分かっている業者でないと、「安心」は生まれないんです。

山陽新幹線 0系

山陽新幹線0系(2008年ごろ)

―ただ、「独占」とはいっても、決してやさしい環境ではないんでしょうね?

販売環境は年々厳しくなっています。
元々、構内営業の販売シェアは60%~70%くらいありましたが、列車のスピードが上がり、列車の窓が開かなくなって、立ち売りが出来なくなりました。
一番売れたのが大阪万博(1970年)の頃です。
でも、その後、山陽新幹線が開業(1972年)した頃から、だいぶ潮目が変わってきました。
やっぱり駅弁屋さんにとっては、列車が遅いほうが有難いですから・・・。
中でも、一番大きかった出来事が、国鉄が民営化してJRになったことです。
「今までと変えないと・・・」というのが重要な要素になり、他の業者さんたちも(姫路駅の中に)入ってきました。
その中でまねき食品も「多角化」を進めていく1つの転機になりました。

―どんな形で「多角化」を図っていったんですか?

多角化は、仕出し弁当から始まりました。
出張パーティとかも受けるようになりました。
企業給食も受けたり、パンを展開するようにもなりました。
食をキーワードに、繋がる分野には出ていきました。

あなごめし

あなごめし

―その中で、昔から変わらず作られている「駅弁」は?

今、一番歴史がある駅弁は「あなごめし」(1,000円)です。
国鉄時代から販売している数少ない駅弁です。
容器など、見た目は、昔とだいぶ変わっていますが・・・。

まねき食品 あなご 調理

まねき食品(あなごの調理風景)

―穴子駅弁は、山陽本線沿線、数多くありますが、「まねき食品」のこだわりは何ですか?

(廣重)
あなご寿し」でもそうですが、独自の調理方法にこだわっています。
白焼きした状態の穴子に、通常は醤油などをかけて焼いたり、甘だれかけて仕上げたりするのが一般的なんですが、ウチは白焼きした穴子を特製の煮だれでサッとくぐらせるんです。
そうした上で最終的にたれを上から塗って仕上げていきます。
これも数十年、昔から受け継いでいる製法です。

(竹田専務・廣重室長インタビュー、つづく)

あなごめし

あなごめし

【お品書き】
・だしめし
・煮穴子
・焼穴子
・煮物(こんにゃく、椎茸、キャベツ、人参)
・錦糸玉子
・金平牛蒡
・生姜漬

あなごめし

あなごめし

スリープ式の包装を外し、わっぱ型容器のふたを開けると、香ばしい穴子の香り・・・。
そして、一工夫されたやさしい煮穴子の味わいが心まで満たします。
しっかり穴子、程よいおかず、やっぱりロングセラーになる駅弁は、バランスがいいですよね。

私自身も、初めていただいた姫路の駅弁は、この「あなごめし」でした。
東京から青春18きっぷで九州に向かう鈍行旅の途中、新快速から岡山行の普通列車に乗り換えて、115系電車のボックスシートでいただきながら、“これから瀬戸内の旅が始まるんだ”と感じたものです。
さあ、次回もまだまだ姫路駅弁に密着していきますよ!

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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