【ライター望月の駅弁膝栗毛】
きょう10月1日は、54年前の昭和39(1964)年、東海道新幹線が開業した日。
初代・0系の引退から10年、じつは今も0系をモチーフとした列車が走っています。
それは、土讃線・窪川~予讃線・宇和島を結んでいるJR四国の「予土線」。
予土線を走っているキハ32形気動車に団子っ鼻とスカートを取り付け、車内にも0系のシートを設置し、新幹線っぽく変身した「鉄道ホビートレイン」として活躍しています。
新幹線のない四国になぜ0系が???…不思議に思う方もいるかもしれません。
鉄道好きならご存知の通り、「新幹線の父」と称された、十河信二(そごう・しんじ)第4代国鉄総裁のふるさとは愛媛県ということで、実は新幹線に大きな縁のある地域なんです。
かつて市長も務めた愛媛県西条市の玄関、JR伊予西条駅前にある「鉄道歴史パークin SAIJO」の四国鉄道文化館には、0系新幹線のカットボディが保存されています。
そんな愛媛の駅弁業界に、今年4月、大きな衝撃が走りました。
長年、県庁所在地・松山市の玄関、JR松山駅で駅弁を手掛けてきた鈴木弁当店がなくなり、
「醤油めし」をはじめとした数々の名物駅弁が失われてしまったのです。
そのなかで、岡山を拠点に駅弁を手掛ける「三好野本店」が「醤油めし」のレシピを受け継ぐことになり、4か月あまりのブランクを経て、今年8月8日から販売が再開されました。
2年半前、駅弁膝栗毛で「醤油めし」を紹介したときと、ちょっと装丁が変わっていました。
三好野本店によると、きっとみんなが懐かしく感じるであろう10年ほど前のパッケージを出来るだけ再現し、女性にも食べやすく小ぶりにすることで、価格帯も当時に戻したそうです。
また、使う醤油の銘柄やご飯に炊きこまれる松山揚げなども、鈴木社長から指導を受けて、実際に試食もしていただき、包装にはしっかり「鈴木弁当店監修」の文字が入りました。
実は三好野本店と鈴木弁当店の間には従来から交流があり、駅弁大会などの「醤油めし」は、三好野本店の協力で出品されていました。
また、昨年(2017年)行われたえひめ国体にも三好野本店が協力しており、愛媛県との関係もあったことから、今回の事態に際し、三好野本店から申し出て受け継いで下さったそうです。
錦糸玉子などは三好野さんらしい味ですが、さくらんぼは画家でもあったという鈴木弁当店の先々代社長さんの彩りへのこだわりから、そのまま受け継がれることになったといいます。
いずれにしても、三好野本店さんに「醤油めし」のノウハウがあったことが奇跡的。
松山駅に欠かせない味は辛うじて守られ、早い復活を果たすことが出来ました。
なお、販売場所は従来と変わり、JR松山駅改札を出て右側、「KIOSK松山銘品館」のレジ脇にケースがありますが、岡山から持ってくるため、販売は昼前頃からといったところです。
奇跡的に早い復活という意味では、今年夏の西日本豪雨で、大きな被害を受けてしまったJR四国の各路線ですが、関係者の皆さんの尽力で9月13日に全線で復旧を果たしました。
これに合わせて、JR四国から「四国全線開通謝恩フリーきっぷ」(10,000円)が販売中。
11月末まで金or土曜スタートで3日間、JR四国全線の特急・普通自由席に乗車可能。
販売は利用開始日の前日までですので、前乗りで四国に入るか、インターネットで余裕をもって買っておくのがお薦めです。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/