【ライター望月の駅弁膝栗毛】
猊鼻渓駅を出て、北上川の支流・砂鉄川を渡って行く大船渡線の気仙沼行。
岩手県一関市には、「厳美渓(げんびけい)」と「猊鼻渓(げいびけい)」があります。
大船渡線に乗って行けるのは、冬はこたつ舟の舟下りが楽しい「猊鼻渓」。
猊鼻渓駅までは、一ノ関駅から普通列車で30分ほどです。
列車が無い時間帯は、岩手県交通の路線バス・摺沢駅行でもアクセスできます。
三陸海岸へ向かう大船渡線の始発駅・一ノ関で駅弁を手掛ける「斎藤松月堂」。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第13弾・齋藤賢社長・インタビューの5回目。
今回は、斎藤松月堂の駅弁作りについて伺いました。
―齋藤社長は以前、ホテルに携わっていたのですね
斎藤松月堂に入ってからは、常務として「ホテルサンルート一関」と「ベリーノホテル一関」という2軒のホテルの経営に携わっていました。
私自身、ホテルスクールに通ったり、フォーシーズンズにいたこともあって、当時の社長(現・会長)から、まずはホテルを…ということになりました。
―駅前旅館から生まれた駅弁屋さんではないのに、なぜホテルもやっているのですか?「ホテルサンルート一関」は、昭和52(1977)年のオープンです。
これは近い将来に予定されていた東北新幹線の開業で、従来通りの駅弁販売ができなくなることを見越してのホテル…ということだったそうです。
「ベリーノホテル一関」は、平成4(1992)年に開業させたホテルです。―就任から6年あまり、社長になってまずどんなことをやりましたか?
一関という10万人程度の都市圏でお金を回して行くことは、とても難しいことです。
とにかく、“外資”を稼がなくてはなりません。
従来、斎藤松月堂の駅弁は、東北新幹線で東京まで運んでもらっていました。
しかし、新幹線はあくまでも「旅客用」ですので、運べる弁当には限界がありました。
そこで、仙台駅弁の「こばやし」さんと話をし、一緒にトラック便で運んでもらえるようにして、首都圏で販売できる駅弁の数は、グッと増えました。
―いまはどのくらいの規模で駅弁を作っているのですか?総勢およそ30人です。
少数精鋭ですが、いま、作っている駅弁(の量)が大体マックスといったところです。
それまでは10~20人といったところでしたので、だいぶ人は増やしました。
合わせて、大手食品会社の工場長などを務めた方に、月に1度ほど顧問として来ていただいて、より製造効率を高めた弁当作りなどを行えるよう、勉強会も実施しています。―駅弁を作る量が増えて、変化はありましたか?
製造量が多くなりますと、途中で少し製造工程を間違えたり、仕入れを誤って原価管理を間違うと、ロスが大きくなってしまいますので、しっかりコントロールしなくてはなりません。
以前は結果としての原価管理をやる程度でした。
いまでは作る前からしっかりと原価管理、在庫管理をするようになりました。
―やはり、「原価管理」って大事なのですね?これはお客さまに、これからもずっと「平泉うにごはん」をはじめとした斎藤松月堂の駅弁を召し上がっていただくための体制づくりと位置付けています。
まだまだ、駅弁各社さんから教えてもらって勉強中といったところです。
でも、各社さん惜しみなく情報を提供していただいて、みんなで共存しながら「駅弁」として生き残って行きましょうという流れになって来ています。
(齋藤賢社長インタビュー、つづく)
大船渡線の旅、あるいは大船渡線から新幹線に乗り換えたときに、斎藤松月堂の駅弁をいただくなら、「三陸海の子」(1,200円)がピッタリかもしれません。
三陸の海がイメージされる昔ながらの掛け紙、じつは斎藤松月堂のスタッフのお姉さまが描かれたという、家庭的で手作り感あふれるもの。
東北のゆったりとした空気に似合ったレトロな雰囲気を醸し出しています。
【おしながき】
・茶飯(岩手県産ひとめぼれ)
・帆立煮
・蒸しうに
・いくら醤油漬
・錦糸玉子
・茎わかめ
・海苔
「三陸海の子」では、定番駅弁・平泉うにごはんのうに・いくらに加えて、大粒の帆立が、ゴロンと2個入っているのが特徴です。
この帆立も素材の味を活かして、優しい味わいに煮付けられているのが嬉しいですね。
うにだけでなく、海の幸をバランスよくいただきたいときに有難いもの。
紐をほどき、レトロな掛け紙を外して、いろんな“海の子”に出逢うのが楽しい駅弁です。
一ノ関駅を拠点に大船渡線で活躍するキハ100系気動車は、東北本線・北上と奥羽本線・横手を結んでいる北上線でも活躍中。
駅舎に温泉のあるほっとゆだ駅などで列車を待っていても、“ドラゴンレール大船渡線”のロゴマークステッカーを掲げた車両に出逢うことがあります。
いよいよ次回は、齋藤社長の“パリ駅弁販売記”をお伝えします!
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/