【ライター望月の駅弁膝栗毛】
東北新幹線・E5系「はやぶさ」号が、日本一長い鉄道橋として有名な第一北上川橋梁を、新幹線で最も速い時速320kmで駆け抜けて行きます。
一ノ関駅を通過してココまで、東京からおよそ1時間50分。
ちなみに、水田に見える所も、じつは「一関遊水地」という北上川の一部です。
このため高架部分も「第一北上川橋梁」の一部となり、“日本一長い鉄道橋”となります。
そんな岩手県一関市で120年以上の歴史を誇る駅弁屋さん「株式会社斎藤松月堂」。
シリーズ「駅弁屋さんの厨房ですよ!」の第13弾は、斎藤松月堂の11代目、駅弁屋としては5代目にあたる、齋藤賢代表取締役社長にお話を伺いました。
齋藤賢(さいとう・けん) 株式会社斎藤松月堂 代表取締役社長
昭和50(1975)年11月14日生まれ、43歳。
岩手県立一関一高から明治大学へ進学し、スイス・ローザンヌホテルスクール、フォーシーズンズホテル丸の内東京を経て、株式会社斎藤松月堂に入社。
平成24(2012)年から代表取締役。一関青年会議所理事長も務める。
―「斎藤松月堂」は100年以上の歴史があるんですよね?
「斎藤松月堂」の創業は、一ノ関駅が開業した明治23(1890)年です。
元々、松月堂は、お菓子屋さんでした。
「茄子の甘露煮」という銘菓は、明治天皇に献上された歴史もあります。
一関の大町という所にあったのですが、駅ができるということで、松月堂駅前支店を作ったのが、いまの斎藤松月堂の始まりです。
―松月堂が駅弁に入られたきっかけは?鉄道の開通に尽力したことを受けて…ということだそうです。
最初は、駅弁ではなくそば屋をやったり、土産などを売っていたと言います。
その後、駅のなかに入って営業を始めたのが、明治26(1893)年のことです。
昔のわずかな写真を見ると、子守をしながら売店をやっている様子が残っていますので、おそらくですが、家族経営でつないで来たのではないかと思います。―“松月堂”の屋号の由来は?
屋号の理由は、記録に残っていないので、よく分かりません。
昔は「岩井屋」と名乗っていた時期もあったようです。
最初は、単に「松月堂」と言っていました。
ただ、盛岡の駅弁屋さんに「村井松月堂」(現在は廃業)というお店がありました。
このため、「斎藤松月堂」と名乗ることで、お客さまに間違われないようにしたのです。
―「最初の駅弁」は分かりますか?恐らく、幕の内だとは思うのですが、じつは「最初の駅弁」もよく分からないのです。
一ノ関駅周辺は戦災で焼けてしまった上に、戦後のカスリーン台風など、水害に見舞われてしまったため、昔のものはほとんど失われてしまいました。
写真なども辛うじて、泥のなかから見つかったものが残っているくらいなのです。―一ノ関は決して大きな駅ではありませんが、「駅弁屋」の競争が激しいですよね?
現在も、「斎藤松月堂」と「あべちう」の2社があります。
以前は、「伯養軒」の一ノ関支店もあったので3社でした。
やはり、一ノ関駅は、大船渡線が分岐する鉄道の要衝だったということだと思います。
以前は、駅弁屋さん同士でライバルとして「競争」が行われていたと思いますが、いまでは「駅弁屋」が共に続いて行くことの方が大事な時代になって来ています。
一ノ関では、「競争より共存」という感覚で営業しています。
(齋藤賢社長インタビュー、つづく)
(解説)
いまから15年前の平成15(2003)年、当時のニッポン放送「駅弁膝栗毛」で訪問した際は、一ノ関駅構内の売店は2社共用で使われていました。
この共用売店では「斎藤松月堂」と「あべちう」で1日ごとに売り場を入れ替えていたのが、とても面白い取り組みだなぁと感じていたものです。
現在はNREの売店となっており、2社の駅弁が一緒に販売されています。
「斎藤松月堂」の名物駅弁の1つが、「岩手牛めし」(1,300円)。
昭和40年代からあるという斎藤松月堂の牛肉駅弁のルーツをいまに受け継ぐ駅弁です。
かつては「前沢牛めし」という名前で販売されていましたが、現在は「岩手牛めし」に。
加熱式容器が使われており、紐を引き抜いてしばらく置くと、温かい牛めしが楽しめます。
地元・一関の皆さんにも根強いファンが多い駅弁です。
【おしながき】
・ご飯(岩手県産ひとめぼれ)
・牛肉煮(岩手黒毛和牛+前沢牛、糸こんにゃく、玉ねぎ)
・ししとう
・漬物
紐を引き抜いて5分あまり、スリープ式の包装を外してふたを開ければ湯気と共に牛肉とタレの香りがフワッと漂って、食欲をそそります。
岩手県産黒毛和牛と前沢牛をブレンドした牛肉を長年変わらない特製のタレで煮込んで、糸こんにゃく・たまねぎと共にすき焼き風に仕上げた「岩手牛めし」。
一ノ関の最もベーシックな牛肉駅弁は、何度いただいても飽きの来ない味です。
北上川は岩手・宮城県境でおよそ26kmにわたって川幅が狭くなっているため、一関周辺は昔から水害に見舞われ、斎藤松月堂もその都度、立ちあがって来ました。
戦後のカスリーン台風やアイオン台風の教訓を経て作られたのが、「一関遊水地」。
東北新幹線の日本一長い鉄道橋は、一関の皆さんの暮らしを守る場所を貫いています。
次回、そんな新幹線が一ノ関駅弁に与えた影響を伺っていきます。
(参考)一関市ホームページ
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/