【ライター望月の駅弁膝栗毛】
東海道新幹線の次世代車両として期待されているN700S新幹線電車。
先日、深夜の試験走行では、最高時速362㎞を記録しました。
N700S新幹線電車の試験走行は、日中にも通常のダイヤの合間をぬうように行われており、ときおり「S」をイメージしたという、ヒゲの付いた新幹線がやって来ることがあります。
私自身は、国鉄時代の交直流特急電車にあったヒゲが思い出されてきます。
新幹線の最高峰を意味する「Supreme」にちなんだという「N700S」新幹線電車。
一方、名古屋駅随一の歴史を誇る駅弁といえば、昭和12(1937)年発売の「親子めし」に由来する「松浦商店」の「天下とり御飯」(1100円)と言ってもいいでしょう。
昭和12年は、まさに当時東洋一を誇ったという、新しい名古屋駅舎ができた年。
今回は「松浦商店」にお邪魔して、これまでの掛け紙を見せていただきました。
しっかりビニール袋に入って保管されている、昭和12年当時の「親子めし」の掛け紙。
価格は30銭とありますので、当時の初乗りが5銭ですから、その6倍の値段。
いまはJR初乗りがおよそ140円ですので840円相当、ほぼいまと同じくらいでしょうか。
この掛け紙を使い、いまから4年前の平成27(2015)年に復刻発売されたことがありますので、駅弁好きの方なら、まだ記憶に新しい方もいることでしょう。
戦後に入ると、駅弁の名前が「とり御飯」にリニューアルされます。
左が昭和20年代とみられる掛け紙で70円、「お買い上げは外食券でお願いします」という戦時体制の名残が感じられる記述もあります。
真ん中は、賀正・100円の印字と昭和35年1月1日の刻印がある、正月の特別掛け紙。
右はエキゾチックジャパンとありますので、1980年代半ば、国鉄末期の掛け紙ですね。
平成に入って「とり御飯」は、「天下とり御飯」にバージョンアップしました。
平成3(1991)年4月14日の刻印が入った平成初期の掛け紙には、尾張が生んだ信長・秀吉・家康のイラストが描かれ、バブル期の名残を感じる賑やかな雰囲気に…。
新幹線も2階建て車両が連結された東海道新幹線の主力車両・100系新幹線電車です。
価格はまだ国鉄末期とあまり変わらない720円でした。
平成の中頃、「天下とり御飯」改め、1050円の「特製とり御飯」となった時代。
平成16(2004)年に、当時の「駅弁膝栗毛」でいただいたときのものです。
それまでの掛け紙から、現在の紙蓋タイプになり、当時は紙の帯で綴じられていました。
長らく名古屋駅の駅弁売り場には、この地方で放送されていた板東英二さんの情報番組で取り上げられた旨が掲げられていたと記憶しています。
【おしながき】
・とりご飯(鶏だし炊き込みご飯・鶏そぼろ・玉子そぼろ)
・チキンカツ
・鶏肉の磯辺揚げ
・鶏つくね串
・バンバンジー
・鶏肉の照焼き
・ウィンナー
・味付人参
・煮物(牛蒡・筍・椎茸・うずらの卵)
・玉子巻き
・蒲鉾
・うぐいす豆
・桜漬け
・みかん
・チェリー
「松浦商店」によると、おなじみ「名古屋コーチン」に因んで誕生したという「親子めし」。
その後、「とり御飯」→「天下とり御飯」→「特製とり御飯」と移り変わり、平成28(2016)年のリニューアルで、より“名古屋らしさ”を打ち出すべく、再び「天下とり御飯」となりました。
装いは変わりながらも、松浦商店伝統の鶏だしで炊いたご飯と鶏づくしのおかずは健在!
やっぱり、名古屋になくてはならない駅弁の1つと言えましょう。
東海道新幹線の顔も0系→100系→300系→700系→N700系と移り変わるなか、見た目はもちろん、性能・技術も大きく進化を遂げてきました。
駅弁もまた、見た目や名前は変わりながら、伝統を活かして、より新しい時代に見合ったバージョンアップが図られています。
その意味でも、いまも駅弁は「鉄道の一部」なんですよね!
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/