【ライター望月の駅弁膝栗毛】
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E6系新幹線電車「こまち」、奥羽本線・羽後境~大張野間
東京~秋田間を最速3時間37分で結んでいる、秋田新幹線「こまち」号。
秋田新幹線は平成9(1997)年、在来線の田沢湖線・奥羽本線(大曲~秋田間)のレール幅を標準軌(1435mm)に改軌した、いわゆる“ミニ新幹線”として誕生しました。
平成26(2014)年にはすべての車両がE6系新幹線電車に置き換えられ、現在は毎時概ね1~2本、1日15往復の定期列車が東京~秋田間で運行されています。
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株式会社花善・八木橋秀一社長
現在は、秋田新幹線「こまち」の始発駅・秋田でも販売がある、大館駅弁「鶏めし弁当」。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」の第17弾は、東北を代表する駅弁の1つ、「鶏めし弁当」を手掛ける駅弁屋さん、「花善」に伺っています。
きょうからは、八木橋秀一(やぎはし・しゅういち)社長のインタビューをお届けいたします。
八木橋秀一(やぎはし・しゅういち)社長。
昭和51(1976)年2月25日生まれ(43歳)、東京都中野区出身。
平成9(1997)年、祖母の花岡ウタさんが経営していた花善に入社し、経営に携わることに。
平成24(2012)年、8代目社長に就任。
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花善の見学コースに展示されている、かつての「立ち売りケース」
●今年で創業120周年の「花善」!
―「花善」は明治32(1899)年創業、今年(2019年)で創業120周年なんですよね?
最初は、花岡旅館弁当部と言いまして、昔は隣に駅前旅館の「花岡旅館」がありました。
120年前の明治32(1899)年11月15日、大館駅と同時創業ということになっています。
鉄道ができた当時、大量調理できるノウハウを持っているのが、旅館くらいしかなかったというのが、本当のところではないでしょうか。
3代目社長のとき、花岡旅館と花善にのれん分けされ、祖父母の代に弁当専業となりました。
―初期の駅弁はどんなモノでしたか?
祖父母から聞いた話では、普通弁当や巻き寿司をやっていたそうです。
いまも残っている大正時代の頃の掛け紙には、「上等弁当」と書かれていますので、いまで言う幕の内弁当をやっていたと思われます。
その後、戦前には「きりたんぽ弁当」、昭和22(1947)年には「鶏めし弁当」を出して、昭和40年代には「鶏樽めし」などの駅弁も出しています。
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EF81形電気機関車+24系客車・寝台特急「あけぼの」、奥羽本線・秋田駅(2011年撮影)
●夜行列車はドル箱列車!
―戦後スグにできた「鶏めし弁当」は、最初から大ヒットだったんですか?
祖父母はよく「昭和40年代までは、鳴かず飛ばずの弁当だったなぁ」と言っていました。
当時は秋田~青森間を走る奥羽本線の列車で車内販売などをやっていたこともあり、沿線では名を馳せていた駅弁でした。
私自身、「花善」の経理をやっていましたので、昔の帳簿を見てみると、大館の駅弁は、昭和50年代がとても売り上げがいい時代だったことが分かります。
―当時の奥羽本線は、いろいろな列車が走っていたんでしょうね?
昭和57(1982)年に東北新幹線が盛岡まで開業する前、夜行列車が奥羽本線の主流だった時代、寝台特急「あけぼの」や「日本海」といった列車が大館に停まっていました。
これが本当にドル箱列車で、当時は夜行列車1両につき1人の立ち売りがいたそうです。
ホームでも「〇号車の人」といった具合で呼んで、別にお茶売りの人もいたと言います。
みんなお金を先に投げるので、発車後に塵取りでお金を集めたという伝説もあるんです。
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仕込みが行われている比内地鶏
●比内地鶏・あきたこまちよりも歴史ある、花善の「鶏めし弁当」!
―大館は「比内地鶏」のふるさとと云われていますが、鶏肉にはこだわっていますか?
じつは「比内地鶏」も「あきたこまち」も、「鶏めし弁当」より後から生まれて来たものです。
ですので、鶏めし弁当の鶏肉は特に明記することなく、国産の鶏肉を使っています。
祖父母は、比内地鶏の駅弁を作ることには懐疑的でした。
じつは私自身も、比内地鶏は本来「食べる鶏」ではないと思っています。
脂が強いので、きりたんぽ鍋のだしを取る鶏肉なんです。
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比内地鶏の鶏めし
―そのなかで「比内地鶏の鶏めし」を出された理由は?
「駅弁味の陣」の存在です。
おかげさまで「鶏樽めし」で2位、「鶏めし弁当」で1位をいただくことができました。
ただ、これらは私の祖父母が作ったものを受け継いだ駅弁ですので、私自身もお客様に支持していただけるような駅弁を開発したいと思うようになりました。
そこで、(全国の皆さまにも分かりやすい)比内地鶏を使った駅弁を作りました。
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比内地鶏の鶏めし
―私は「比内地鶏の塩焼き」が大好きです!
比内地鶏を「鶏めし弁当」の鶏のように煮込んでしまうと、うま味成分が全部逃げてしまって、残念ながら美味しくなくなってしまいます。
そこで、いろいろと試行錯誤を繰り返してできたのが、比内地鶏を非常に高温のスチームで焼き上げる「塩焼き」でした。
これでようやく、比内地鶏のうま味を閉じ込めることが可能になったんです。
(株式会社花善・八木橋秀一社長インタビュー、つづく)
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比内地鶏の鶏めし
【おしながき】
・味付けご飯(秋田県産あきたこまち、鶏肉の煮汁)
・比内地鶏の塩焼き
・そぼろ玉子 比内地鶏のそぼろ 飾り麩 インゲン
・茄子の田楽味噌
・枝豆入り蒲鉾
・煮物(がんもどき、ごぼう)
・香の物(胡瓜漬け、しば漬け)
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EF81形電気機関車+24系客車・寝台特急「日本海」、奥羽本線・弘前駅(2007年撮影)
私が夜行列車で東北へ行けるようになったのは、平成中期からのこと。
乗るときは必ず、「花善」に電話予約をして「鶏めし弁当」や「特上鶏めし弁当」をドア口で受け取っていました。
「比内地鶏の鶏めし」は、事実上「特上鶏めし弁当」を置き換える形となり、「駅弁味の陣2016」では見事1位の駅弁大将軍に輝いています。
次回は、「鶏めし弁当」の意外なこだわりに注目します。
連載情報
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ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/