【ライター望月の駅弁膝栗毛】
いよいよ、北東北の夏祭りシーズン!
その足となるのが、秋田~青森間を1日3往復している奥羽本線の特急「つがる」です。
秋田を出ると、八郎潟、森岳、東能代、二ツ井、鷹ノ巣、大館、碇ケ関、大鰐温泉、弘前、浪岡、新青森の順に停車し、終着・青森まではおよそ2時間40分の旅となります。
現在は、平成12(2000)年デビューのE751系電車が、身軽な4両編成で活躍しています。
特急「つがる」号も停車する、奥羽本線・大館駅。
大館は鹿角・盛岡方面へ向かうJR花輪線の乗換駅でもあり、大館~盛岡間は1日5往復の普通列車によって、およそ3時間で結ばれています。
人口7万人あまりの街・大館市の玄関口となっている大館駅は、今年(2019年)11月15日、開業から120周年の節目を迎えます。
大館駅前で駅弁を作っているのが、駅開業と同時に創業したという「株式会社花善」。
私が駅弁屋さんを訪問、その製造現場をレポートする「駅弁屋さんの厨房ですよ!」。
「伊東」「小淵沢」「水戸」「出水」「長岡」「米沢」「松阪」「横浜」「姫路」「修善寺」「富山」「仙台」「一ノ関」「米沢」「山形」「郡山」と巡り、第17弾は大館駅弁「花善」へ…。
製造過程に密着するのはもちろん、大館名物「鶏めし弁当」(900円)です!
●高価な秋田杉のお櫃が作る、絶妙な水分の鶏めし!
入念な手洗いを経て、いよいよ「鶏めし弁当」の製造現場へ。
ちょうどいい香りと共に、鶏の煮汁がしみ込んだ“味付けご飯”が炊きあがってきました。
驚いたのは、炊きたてのご飯が、どんどん木のお櫃に移されていくこと。
しかも、そのお櫃は、すべて高価な「秋田杉」でできているのです。
地元産の秋田杉にこだわるのはご飯の余分な水分を程よく吸ってくれるからなんだそう。
秋田杉のお櫃で冷まされた味付けご飯は、折に詰められていきます。
「鶏めし弁当」のご飯は、折の縁ギリギリまでいっぱい詰められるのが特徴。
「お客さまに『お腹いっぱいで、もう食べられない』とおっしゃっていただきたい」。
「鶏めし弁当」が生まれた当初からのコンセプトが、いまも受け継がれています。
その上に玉子そぼろ、鶏肉の甘辛煮が、1つ1つ手作業で盛り付けられていきます。
●新しいおかず「枝豆の蒲鉾」登場!
鶏めしが盛り付けられると、オリジナルの味付けが施されているがんもどきの煮物や香の物をはじめとしたおかずが、手際よく盛り付けられていきます。
特筆すべきは、おかずが若干リニューアルされ、「枝豆の蒲鉾」が加わったこと。
じつは秋田、日本トップクラスの「枝豆」の生産を誇ることから、県を挙げた盛り上げが行われていて、「鶏めし弁当」の掛け紙にも大館産枝豆を使用の旨が謳われています。
おかずの盛り付けが終わると、味付けご飯の上に載っていた鶏の甘辛煮を、ご飯のなかに、ギュッと押し込む形で上蓋が閉じられます。
その上におなじみの「鶏めし弁当」の掛け紙が掛けられ、ひもで結ばれて完成!
平日に伺いましたので、比較的ゆっくりだということでしたが、それでも十分に早い!
手間はかかっても、掛け紙+紐綴じの駅弁は、ありがたい気持ちになりますね。
『花善では“鶏めし”という言葉は、1つの言葉ではありません』。
そう仰るのは、株式会社「花善」の8代目・八木橋秀一(やぎはし・しゅういち)社長。
「鶏めし弁当」が駅弁味の陣で見事駅弁大将軍に輝いた記念のベルトと共に登場です。
果たして「鶏めしは1つの言葉ではない…」とは、どんなことなのか?
さっそく、大館名物「鶏めし弁当」が生まれた背景を伺ってみましょう。
●2つの偶然が生んだ大館名物!
―「鶏めし弁当」は昭和22(1947)年生まれの歴史ある駅弁ですよね?
花善では昭和10年代に当時の鉄道省からの要請で「きりたんぽ弁当」という駅弁を作っていましたが、鍋料理を無理やり弁当にしていたので、どうしても売れ残っていました。
残ったものを全部廃棄してしまうのはもったいないので、そのなかから鶏肉だけを取り出して、甘辛く煮つけてまかない料理として食べていた…これがとても美味しかったことから、まず鶏めしの「鶏」の部分が生まれました。
―「めし」の部分は、どうやってできたんですか?
戦後、物資がない時代、大館では花善が周辺の皆さんへの「配給食」を担っていました。
届いた食材は、ごぼう・砂糖・醤油・コメの4つだけ。
普通はごぼうをささがきにして砂糖と醤油で煮つけて、銀シャリでいただくとなるんですが、ある日、調理を担当していた祖母が面倒くさくなってしまって、全部一緒に入れて炊いてしまったところ「いままでに食べたことのない」画期的な美味しいご飯ができてしまったんです。
―「いままでに食べたことのない」というのは?
私が調べた限りですが、当時の東北地方では「おこわ」はあったんですが、「炊き込みご飯」を食べるという習慣がほとんどありませんでした。
なので、皆さん、茶色いご飯を見て、カルチャーショックを受けてしまったと言います。
ちなみに、東北はいまも“色のついたご飯は邪道だ”とおっしゃる方もいるくらいで、“銀シャリ信仰”が強い地域なんです。
―「鶏」と「めし」の2つが、合わさって「鶏めし」になったということですか?
戦後、落ち着いたところで駅弁を売り出すことになった際、その炊き込みご飯の上に、祖母が大好きな(まかないの)鶏肉を載せてみたら…ということになりました。
この2つのルーツが組み合わさって昭和22(1947)年に生まれたのが「鶏めし弁当」です。
「鶏めし弁当」という商品名は、祖父が考案した名前ですが、じつは「鶏」と「めし」の造語で、2つの偶然によって生まれた物なんです。
(株式会社花善・八木橋秀一社長インタビュー、つづく)
【おしながき】
・味付けご飯(秋田県産あきたこまち使用、鶏肉の煮汁)
・鶏肉の甘辛煮
・そぼろ玉子 いんげん 栗甘露煮
・煮物(がんもどき、椎茸、飾り麩)
・枝豆の蒲鉾(秋田・大館産枝豆使用)
・香の物(しば漬け、胡瓜漬け)
人呼んで、“鶏めし駅弁の東の横綱”。
東日本エリアの駅弁人気投票「駅弁味の陣2015」でも見事、第1位の駅弁大将軍に輝いた大館駅弁の「鶏めし弁当」。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第17弾・花善編、次回からは八木橋社長のお話と合わせて、この素晴らしい駅弁を生み出している「花善」の裏側にグッと迫ってまいります。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/