【ライター望月の駅弁膝栗毛】
会津磐梯山を望みながら駆け抜けるJR磐越西線の列車。
磐越西線は郡山~新津間を結ぶ175㎞あまりの路線で、途中の喜多方までが電化区間、喜多方~新津間は非電化で、7月27日からは快速「SLばんえつ物語」号が復活します。
列車は概ね、郡山~会津若松間が電車、会津若松~新津間は気動車での運行。
郡山~会津若松間は、今年(2019年)7月15日に開通120周年を迎えました。
磐越西線の列車は、郡山駅・新幹線ホームから最も近く、駅舎に面した1番線からの発車。
郡山駅弁「株式会社福豆屋」の売店も、この磐越西線への乗り換えルート上にあります。
駅弁膝栗毛恒例企画「駅弁屋さんの厨房ですよ!」の第16弾、福豆屋の小林文紀(こばやし・ふみき)専務取締役のインタビュー。
今回は、東北新幹線の開業と磐越西線にまつわるエピソードを伺いました。
●東北新幹線開業後も、2社で競争力を培った郡山駅弁
―昭和57(1982)年の東北新幹線開業は、大きなターニングポイントでしたか?
父はずっと、「列車の窓が開かなくなったら、駅弁屋は終わりだ」と言っていました。
当時は窓が開かなくなり、立ち売りができなくなるというのが、最も大きな衝撃でした。
かつては1本の汽車が行くと、(お客様が弁当と引き換えにホームに投げていった)お金を塵取りで集めていたという伝説もあったほどでしたから…。
このため、東北特急の各列車で車内販売を行っていた「みちのく車販会」という組織を軸に、さらに横のつながりを強くして、新幹線開業の荒波を乗り越えていこうとなりました。
―郡山駅の駅弁は、ずっと2社体制で、売店も別々にありましたよね?
郡山は長年、「東北軒」と「福豆屋」の2社体制でした。
歴史は東北軒さんのほうが長く、旧街道の宿場町時代からのお宿に由来するお店でした。
郡山駅1階では、新幹線が通ってから2社が並ぶ形で売店を設け、駅弁を販売していて、新幹線のホームは、東京方面のホームが福豆屋、仙台方面のホームが東北軒さんでした。
東北軒さんが駅弁をおやめになられる頃に、伯養軒さんが郡山にも入ってこられました。
●お父様の姿が重なる「小原庄助べんとう」
―新幹線開業を記念した駅弁もあったと記憶していますが…?
父が東北新幹線の開業に合わせて作った「小原庄助べんとう」ですね。
その頃としては、画期的な2段重ねで、色のついたしめじご飯が珍しい存在でした。
当初は「小原庄助なんて、身上つぶした人物で縁起が悪い」なんて云われもしました。
それでも、磐梯山と猪苗代湖にゆかりがあって、愛着のある人物だということで筋を通して、販売にこぎつけたと聞いています。
―お父様の駅弁への情熱が伝わって来るようですね
父は小原庄助と同じで、お酒が本当に好きな人でした。
上の段を酒の肴にして呑んでもらい、下の段は〆のご飯ということで“しめじ”ご飯でした。
去年(2018年)のリニューアルで掛け紙になりましたが、以前は2段重ねのボックスが特徴的でした。
ほろ酔い気分のお客様が、折を吊る下げて千鳥足…その手にはボックスというイメージがあったようで、あの形にはこだわりを持っていたようです。
●会津磐梯山の麓・猪苗代で駅弁・駅そば・山菜加工・タクシーも!
―「福豆屋」は、会津にもゆかりがあるんですか?
昔は郡山のほか、磐越西線の猪苗代駅、翁島駅にも売店を持たせてもらっていました。
猪苗代駅では、駅そばのほか「福豆屋タクシー」という会社も5台の車でやっていました。
翁島には売店を兼ねた山菜の加工場もあったので、いわゆる行商のおばさんのような格好をして、(磐越西線の汽車で)山菜を運ぶ「運び係」の者もいたと言います。
この山菜を袋詰めして、お土産として売店で販売もしていました。
―もちろん、駅弁も販売されていたんですよね?
磐梯山の風景をモチーフに、「山菜ちらし」という丸い桶に入ったお寿しを作っていました。
山菜を山のように盛り付け、得意のいなり寿司の揚げをみじん切りにし、錦糸玉子と菊の酢漬けも入って、上にチェリーも載っていました。
郡山の皆さんは召し上がった後、よく丸い桶をご自宅の植木鉢の水の受け皿として使って下さっていて、どのお宅でも容器を見ることができたものです。
(株式会社福豆屋・小林文紀専務取締役インタビュー、つづく)
小原庄助べんとうは、去年(2018年)、リニューアルされて「三代目 小原庄助べんとう」(1100円)となりました。
これは3回目のリニューアルであることと、小林専務が三代目であることをかけたもの。
包装もお父様考案のボックスタイプから、昔ながらの掛け紙タイプになりました。
小林専務によると、掛け紙コレクションの方に、特に好評を博しているのだそう。
【おしながき】
(上段)
・焼鮭
・にしん昆布巻き
・えび磯辺揚げ
・豆みそ
・鶏肉の酒粕味噌焼き
・煮物(たけのこ・人参・椎茸)
・なめこそばの実和え
・手まり餅
(下の段)
・しめじご飯 菜の花醤油漬けのせ
・白飯 刻み梅のせ
東北新幹線の開業と共におつまみ駅弁として始まった「小原庄助べんとう」。
現在は最初からのしめじご飯と白飯の2つのごはんと、にしんの昆布巻きや会津の酒蔵の酒粕を使った鶏肉の味噌焼きといった、会津ゆかりの味も楽しめる駅弁になりました。
二代目のしめじ御飯、初代の手まり餅、それ以前から会津の人たちが育んできた食文化。
先人への尊敬の念と、女性らしい優しさがあふれた“三代目”の駅弁です。
磐越西線の車窓と共に、会津への旅のお供としたい「三代目 小原庄助べんとう」。
E721系電車を中心に、ときおり、代走する719系電車共にボックスシートのある車両です。
下り列車で磐梯山を眺めるなら、進行右手、進む方向に向かって座るのがポイント。
1時間あまりの乗車時間が、より短く感じられることでしょう。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第16弾・福豆屋編、次回に続きます。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/