それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
そのお店は、千葉県松戸市の牧の原団地にあります。
店の名前は『パテスリー みつ葉とはーと』・・・。
ご主人の西村泰久さん、奥様の加代子さん、小学校4年生の娘さんを合わせて「みつ葉」・・・。
そこに、娘さんの名前「葉冬」を添えた店名です。
「パテスリー」というのは、ケーキや焼き菓子など洋菓子屋さんのこと。
クリスマスを目前にした去年の12月12日に開店しました。
『みつ葉とはーと』のケーキは、基本的に8種類。
丹精を込めた生クリームに、イチゴやマンゴーなど季節のフルーツをふんだんに載せたケーキが 中心です。
「こんな俺がケーキ屋を?」というのが、開店当初の西村さんの想いでした。
東京會舘のケーキ職人として25年。
生クリーム作りにかけては、誰にも負けない自信がありました。
けれども、西村さんの手足にはもう、思うように力が入りません。
筋肉の力が低下していく難病「筋ジストロフィー」
これが、西村さんを襲った病気の名前です。
今、52歳の西村さんが、病気を発症したのは小学生の時。
大好きだった運動会の成績が、どんどん落ちていく。
長い距離を歩く遠足は、筋肉痛で苦しいだけでした。
「筋ジストロフィー」の診断を受けたのは、19歳の時。
余命5年の告知は、専門病院で否定されましたが。
歩けるのは30歳まで。
さらに辛い宣告を受けなければなりませんでした。
しかし、絶望の淵にしゃがみ込んでいる時間はありません。
東京會舘に入社した西村さんは、仲間たちと同じ仕事をこなそうとしました。
けれども、30キロの粉の袋を持ち上げられない。
生地を並べた焼き皿を、オーブンに入れることができない。
新京成線のときわ平から乗車する通勤路で、4~5回も転んでしまう。
長い時間をかけて、病状は少しずつ、しかし確実に悪化していきました。
「もう、ダメだと決断したのは、42歳の時でした。会社を辞めて、それから半年くらい、引きこもってしまったんです。それでも、車いすに乗るのが、どうしてもイヤだったんですよ。」
当時をくやしそうに振り返る西村さんですが、担当医師の勧めもあって、「電動車いす」を申請。
操作に慣れるまで少しかかりましたが、動かしてみると風景が流れ、風になれたような気分が新鮮でした。
「小学生が、かっこいい~なんて言ってくれましてね。恥ずかしい話ですが、ちょっとうれしかったですよ。」
こうして少しずつ広がり始めた西村さんの世界。
銀座にも浅草にも行ってみました。
世界の広がりは、新しい出会いを生み出します。
陶芸教室で出会った目の不自由な方の明るさと力強い生き方は、勇気と励ましをくれました。
そんな中で、介護士をしていた加代子さんとの出会いがありました。
「おしゃれで、明るくて、前向きな人なんです。自分が不自由な体で、人をサポートする姿に打たれました。障がいのある人という感じがしなかったんです。」
二人は、ごく自然に結ばれて結婚。
加代子さんの勧めで、子ども向けのお菓子作り教室を開きます。
「おいしい!」「たのしい!」という評判で、お菓子作り教室は回を重ね、『みつ葉とはーと』の母体となりました。
子どもの頃からの夢が叶う!
この歓びは「こんな俺がケーキ屋を?」という言葉に変わりました。
「歩けない、力も入らない、こんな僕とケーキ屋をやろうなんて人は世界に一人、彼女だけですよ!不安もありますが、彼女がいれば大丈夫!」
「車いすのあなたがケーキを作っている姿が、ごく自然になればいいのよ」
こう言ってたたえ合う西村さんご夫妻・・・。
今日の『みつ葉とはーと』の生クリームは、いつもよりほんの少し甘めかも知れません。
2016年5月18日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ