【ライター望月の駅弁膝栗毛】
かつて、数多くの特急列車が行き交った東北本線。
現在の主役は、パープルのラインを巻いた2両編成の701系電車です。
一ノ関で新幹線を降りて、平泉へ向かう場合は、ほぼこの車両に乗車。
ロングシート車両の収容力は、観光シーズンでも大きな力となっています。
一ノ関~平泉間は、Suica(仙台エリア)で乗車できるので、気軽に移動できます。
東北本線を普通列車で旅すると、一ノ関は乗換駅。
一ノ関から南は、仙台エリアを走る車両がやって来ます。
日中は、小牛田(こごた)~一ノ関間を走る701系のワンマン列車が中心ですが、朝晩を中心に、ボックスシートのあるE721系電車も…。
空いている時間帯でこの車両なら、駅弁もしっかりいただくことができそうです。
そんな東北本線の開業と共に一ノ関駅で構内営業を手掛けている「株式会社斎藤松月堂」の齋藤賢社長(43)にお話を伺っている「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第13弾。
フランス・パリでの駅弁販売を終えていま、これからの駅弁について思うところを、たっぷりとお話しいただきました。
齋藤社長のインタビュー、完結編です。
―最近は、海外に常設店を構える駅弁屋さんも登場しています。もしも、斎藤松月堂が「海外進出」するとしたら、どこの国・地域ですか?
(ちょっと悩んで…)やっぱりヨーロッパでしょうね。
ヨーロッパは、鉄道移動が多く、鉄道文化が土壌にある地域だからです。
TGVなどもあり、移動時間が長くてもそれをよしとする文化がある所じゃないと、「駅弁」は根付かないと思うのです。
加えて、食に対する意識が高い地域であることも大事な要素かと。
―「食に対する意識が高い」地域とは?今回、駅弁の「蝋細工」を作ってリヨン駅で販売を行ったのですが、フランスのお客さまが皆さん、駅弁の蝋細工を見て「うわぁ、きれいだぁ~!」とおっしゃるのです。
駅弁をお求めにならなくても、アートのように鑑賞していく方がたくさんいらっしゃいました。
実用性だけじゃなくて、ビジュアルやアートの面を高く評価してくれるヨーロッパなら、駅弁をやったら面白いかなぁと思ったわけです。―確かに「駅弁」では、“愛でて楽しむ”という要素も大きいですね?
和食でも、料理を花や木に“見立て”ます。
その意味でも、和食とフレンチは相通じるところがあるのだと思います。
東アジアでは、丼物にドーンと温かいものをのせて出来上がりという料理も多いですね。
それは実用的で美味しいのですが、懐石だったり、見た目の美しさといった「和食文化」を考えると、日本の弁当はヨーロッパとの親和性が高いのかなとも思います。
―齋藤社長は、スイスに留学されていたこともあるのですよね?今回、空いた時間を使って、かつていたスイスにも足を運んでみました。
スイスの駅にも、構内のスーパーに“鶏丼のようなもの”や寿しが置いてあるんです。
長距離列車の発車前には、買って乗車されるお客さまも見受けられました。
じつはヨーロッパでも、列車のなかで「ご飯を食べる」習慣ができて来ているのだなぁと…。
だったら、「駅弁」でも行けるんじゃないかと思いました。―海外で駅弁を販売して、これからニッポンの駅弁、どう盛り上げていきたいですか?
フランスの皆さんと話をして、日本の文化として「駅弁」を感じ取っていただいたことで、私自身も改めて「駅弁の価値とは何か? 根本は何か?」といったところまで、深く掘り下げて考えるきっかけになりました。
そのなかで、これまでも感じ始めていたことですが、より地域に根差した、お客さまの心に訴える「駅弁」を送り出して行くことが大事だなぁと思っています。
―いままでと「駅弁」のあり方も変わって来るのでしょうか?確かに「平泉うにごはん」を初めて東京へ持って行った頃は、「とにかく売れる駅弁を…」という発想でしたが、いまはそこからひと回りしたように感じています。
東京で駅弁を売ることができるようになったのは有難いですが、流行の売れる弁当や単に美味しい弁当だけではなくて、そこに地域の文化が詰まった、ストーリーがある駅弁を作ることがより大事になって来ると思います。―地域の文化では、去年出た「鶏舞弁当」は一関の伝統芸能にちなんだものですよね?
東北新幹線の35周年と駅弁味の陣に合わせて「鶏舞弁当」(980円)を復活させました。
当時、佐藤不二夫先生という方に彫っていただいた掛け紙の版木がいまも残っています。
ホント、これは「お宝」です!
昔ながらの掛け紙にデザイン性を感じて、駅弁を手に取っていただく方も増えて来ていますので、こういった昔からの伝統を大事にしてやって行きたいと思っています。―伝統を守ることも、駅弁屋さんの役割なのでしょうね?
駅弁自体、コンビニの弁当や都市部では駅ナカの惣菜屋さんとバッティングしています。
でも、お客さまにとってみれば、駅で弁当が売っていれば、“駅弁”なのです。
そのなかで昔からの駅弁屋が大事にして来たものといえば、その土地の歴史であり、昔からの伝統を受け継いで行くこと…それが駅弁マークの使命なのです。
ただ、駅で売っている弁当ではなくて文化のある弁当、それが「駅弁」なのだと思います。【おしながき】
・ご飯(岩手県産ひとめぼれ)
・鶏の照り焼き
・錦糸玉子
・煮物(椎茸、竹の子)
・笹かまぼこ
・味噌しそ巻き揚げ
・香の物(大根味噌漬け、桜漬け)(望月の解説)
一関の伝統芸能「鶏舞」と、鶏めしをかけたネーミングの「鶏舞弁当」。
単なる鶏めしというだけでなく、じつは一ノ関駅ならではの構成が伺えます。
例えば、笹かまぼこやしそ巻きは岩手より宮城の食材では…と感じるかもしれませんが、歴史を紐解けば、一関は江戸時代から仙台の影響が強かったエリア。
そういう意味では、鶏めし1つにも、一ノ関駅ならではの鶏めしがある訳なのですね。―「駅弁膝栗毛」は、できるだけ現地で駅弁を食べてほしいというコンセプトでやっていますが、齋藤社長お薦め、一ノ関周辺の“駅弁が美味しい”車窓は?
やっぱり東北本線で一ノ関から北、山ノ目、平泉、前沢に向かう右側の車窓ですね。
北上川の向こうにそびえる束稲山(たばしねやま)の景色は最高です。
束稲山は平安時代、奥州藤原氏の最盛期に訪れた西行が吉野山に見立てた山です。
在来線はロングシートの車両ですが、普段の日は平泉を過ぎれば車内も空いて来ることも多いので、駅弁も大丈夫かと思います。―再来年で「斎藤松月堂」130周年となりますが、これから力を入れたいことは?
より原点回帰で、「松月堂」という名前を大事にして行きたいと思っています。
その一環で、掛け紙には昔、使われていた「松月堂」のシンボルマークを復刻させました。
松の木に「松月堂」と書かれたマークで、カタカナで書いていた時代もありました。
じつは何気なく使っていた湯呑みに、このシンボルマークが残っていたことに気付きまして、ならば、このマークを拠り所にしていこうと…。「鶏舞弁当」のほかにも、昔の季節の弁当で使っていた版木なども残されています。
いずれ、これらの版木も起こして一ノ関駅を訪れたからこそ買える、一関の文化が詰まった駅弁も作ってみたいと思いますので、ぜひ、楽しみにしていてください!
(株式会社斎藤松月堂 齋藤賢社長インタビュー、おわり)
かつて、東京駅に「駅弁屋旨囲門」ができて、東日本エリアの駅弁が店頭に並んだとき、私自身は手軽に買えて嬉しいけれど、「駅弁は現地で買うものではないのか?」と、ずっとモヤモヤしたものがありました。
今回、東京に駅弁を送られる立場の齋藤社長に話を伺って、改めていまの「駅弁屋・祭」は、各地域の駅弁屋さんを支える場所にもなっていると感じました。
そして、欧州の方から見た駅弁、日本文化もまた、とても新鮮な視点でした。
創業から120年以上、地元・一関に軸足をしっかりと置きながら、東京から全国、世界を見据えて、駅弁を作り続ける「株式会社斎藤松月堂」。
駅弁作りには、伝統と流行、効率と手間、様々な相反するテーマが渦巻いています。
そのなかで、1つ筋の通った駅弁を送り出すことで、一関の伝統と駅弁文化を次の世代にしっかり受け継いで行きたい…齋藤社長の言葉からは、そんな強い意志を感じました。
うにごはんや牛めし、手作業で作られるその1つ1つの駅弁に、作り手の皆さんの思いを重ねてみると、一層味わい深く駅弁をいただくことができますよ!
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/