青森のご当地パン・イギリストーストのパン屋さんが、「駅弁店」を作った理由

By -  公開:  更新:

【ライター望月の駅弁膝栗毛】
「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。

工藤パンの「イギリストースト」

画像を見る(全9枚) 工藤パンの「イギリストースト」

全国各地には、それぞれの土地ならではのご当地パンがあり、旅の楽しみの1つとなっています。青森のご当地パンといえば、やっぱり「イギリストースト」。青森県内の物産館や、新青森駅のNEWDAYSなどにも、「イギリストースト」専用のブースが設けられています。そんな「イギリストースト」を作るパン屋さんには、じつは「駅弁」を作る子会社もあります。今回は、パン屋さんのヒストリーを紐解きながら、駅弁までの道のりを辿ります。

E751系電車・特急「つがる」、奥羽本線・川部~北常盤間

E751系電車・特急「つがる」、奥羽本線・川部~北常盤間

「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第42弾・幸福の寿し本舗編(第2回/全6回)

津軽富士・岩木山を望みながら、秋田からの特急「つがる」が、終着・青森を目指します。“津軽”という列車は、昭和から平成の初めにかけて、上野~青森間を奥羽本線経由で結んでいた急行列車が有名でしたが、平成14(2002)年の東北新幹線八戸開業以降は、平仮名の「つがる」として、八戸~青森・弘前間の特急に。そして、平成22(2010)年の東北新幹線全線開業からは、秋田~青森間の特急列車として活躍しています。

東北新幹線が全線開業して、「つがる」が秋田~青森間の特急列車となった平成22(2010)年から、新青森駅の駅弁を手掛けるようになったのが、「幸福の寿し本舗」です。駅弁膝栗毛恒例「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第42弾・幸福の寿し本舗編は、さまざまな駅弁の企画を担当されている那須尚幸営業部長、そして親会社の工藤パン創業家から工藤高嗣取締役・生産部長にお話を伺いました。

幸福の寿し本舗・那須尚幸営業部長、工藤高嗣生産部長

幸福の寿し本舗・那須尚幸営業部長、工藤高嗣生産部長

■那須尚幸(なす・よしゆき) 幸福の寿し本舗 営業部部長
昭和49(1974)年生まれ、青森県黒石市出身、48歳。平成9(1997)年入社、総務(人事)や営業など、さまざまな部門を経験し、現職。

■工藤高嗣(くどう・たかし) 幸福の寿し本舗 取締役 生産部部長
昭和48(1973)年生まれ、青森県青森市出身、50歳。平成17(2005)年入社、生産部門を一貫して担当。

現在の大湊線・赤川駅前(地元の90歳の方曰く、工藤パンは交差点の角にあったそう)

現在の大湊線・赤川駅前(地元の90歳の方曰く、工藤パンは交差点の角にあったそう)

●大湊線・赤川駅前で始まった「工藤パン」

―工藤パンのルーツを教えて下さい。

那須:下北半島(現・むつ市)の大湊線・赤川駅前です。ここで創業者の工藤半右衛門(くどう・はんえもん)が、製パン業をスタートさせました。最初のパンは、あんパン・ジャムパン・クリームパンといった少ないアイテムで始まったと言います。製造・販売を始めますと、その美味しさが評判となり、大湊の海軍からお声がかかりました。お店も大湊に移転し、海軍要港部指定工場となって、終戦までパンの納入を行いました。

―戦後、青森市内に移転したのは、なぜですか?

工藤:昭和23(1948)年11月、青森市に移転いたしました。これまで海軍の方に食べていただいたパンをもっと多くの方に召し上がって欲しいという思いから、(より人口の多い)県庁所在地の青森市に移転したと聞いています。そのころから市の指定を受け、学校給食も担ってきました。青森市で生まれ育ってきた方であれば、何かしら工藤パンのパンを召し上がってこられたのではないかと思います。

工藤パンの「イギリストースト」

画像を見る(全9枚) 工藤パンの「イギリストースト」

●下北半島の食文化が生んだ、青森を代表するご当地パン「イギリストースト」

―青森を代表するご当地パン「イギリストースト」は、どのようにして生まれたのですか?

那須:詳細な記録が残っていませんが、最も古い記録が昭和42(1967)年ごろということで、イギリストーストのwebサイトにも「since1967」とご紹介しています。そもそも山の形をしたパンのことをイギリスブレッドと言います。このパンにバターを塗り、砂糖をまぶしていただく方が下北半島には多く、食糧難の時期は唯一の贅沢とされていました。この歴史を踏まえて試行錯誤を繰り返し、「イギリストースト」として商品化にこぎつけることができました。

―いまではすっかり、青森のソウルフードですね?

工藤:コロナ禍では、ご当地パンの代表的な存在としてSNSで発信していただいた方が多く、おかげさまで「工藤パンといえばイギリストースト」と認知されてきたと感じています。イギリストーストを“青森のソウルフード”と呼んで下さる方が増えてきましたが、なぜそうなったのかは私たちもわかりません。ただ、私たちも小さいころから家のおやつとして親しんできたパンですので、それが世代を超えて、脈々と受け継がれてきたのかなと感じます。

津軽の笹寿司(6個入り)

津軽の笹寿司(6個入り)

●工藤パンの弁当部門が独立してできた「幸福の寿し本舗」!

―工藤パンは、なぜ「幸福の寿し本舗」を設立したのでしょうか?

那須:もともと、工藤パンの工場には弁当課という部署があり、弁当やおにぎりも生産していました。しかし、1980年代に入って食品の衛生基準が厳しくなったため、それまでの工場では対応しきれなくなりました。そこで昭和59(1984)年、洋菓子を作るために建てた工藤パン第2工場に隣接した土地に、新たな工場を建てて弁当部門を移転した際、工藤パンの弁当部門の子会社として、「幸福の寿し本舗」を設立いたしました。

―「幸福の寿し本舗」という屋号の由来を教えて下さい。

那須:幸福の寿し本舗を立ち上げるに当たり、工藤パン2代目社長が「笹寿司」の作り方を教えていただくため、北陸・金沢の芝寿しで修業したんです。このとき、芝寿しの先代の方から「幸福の寿し本舗」という屋号を授かりました。じつは、駅弁のパッケージ等に印刷している「幸福の寿し本舗」という書体も、芝寿しの方に揮毫していただきました。弊社の駅弁の1つ「津軽の笹寿司」は、芝寿しさんに学んで、受け継いできたものなんです。

津軽の笹寿司(6個入り)

津軽の笹寿司(6個入り)

【おしながき】
・青森県産トラウトサーモンの押寿司
・鯛の押寿司
・しめ鯖の押寿司

津軽の笹寿司

津軽の笹寿司

昭和59(1984)年の「幸福の寿し本舗」創業以来、35年以上の歴史を誇る「津軽の笹寿司(6個入)」(1200円)。新青森駅開業以降、晴れて「駅弁」となりました。以前は鮭と鯛の2種・全5個入りでしたが、現在は青森県産トラウトサーモン、鯛、〆鯖の3つの味が楽しめるようにバージョンアップ。包装を開けた瞬間、フワッと笹と酢の香りが広がります。サーモンはレモンの酸味、鯛は昆布のうま味が、より一層、食欲をそそります。

青い森701系電車・普通列車、青い森鉄道線・野内~浅虫温泉間

青い森701系電車・普通列車、青い森鉄道線・野内~浅虫温泉間

工藤パン・創業の地、下北半島へ向かうJR大湊線は、東北本線の野辺地から分岐しています。現在、東北本線の盛岡以北は、新幹線の開業に伴って、「青い森鉄道」となり、大湊線はJR線と接続しない独立した路線となりました。ただ、週末には、青い森鉄道や大湊線、八戸線、津軽線と、奥羽本線(弘前~青森間)、五能線(五所川原~川部間)が乗り放題になる「あおもりホリデーパス」(2520円)も販売され、お得な旅が楽しめます。

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

Page top