東北・北海道新幹線の開業、八戸駅弁・吉田屋が「変えた」こと、「変えなかった」こと

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【ライター望月の駅弁膝栗毛】
「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。

しっとりうにと大玉ほたて弁当

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昭和30年代は駅弁の黄金時代と云われました。しかし、この時代に区切りをつけたのが、新幹線の開業です。新幹線による列車の高速化は、立ち売りの駅弁から売店の駅弁に変えました。さらに、新幹線が各地に作られていくなかで、この変化も全国に拡大します。販売環境の変化にどう柔軟に対応するかは、駅弁屋さんの経営者の腕の見せどころ。八戸駅弁の変化は、新社長の就任から始まりました。

E5系新幹線電車「はやぶさ」、東北新幹線・七戸十和田~八戸間

E5系新幹線電車「はやぶさ」、東北新幹線・七戸十和田~八戸間

「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第44弾・吉田屋編(第4回/全6回)

東北新幹線・八戸駅は、平成14(2002)年12月に開業しました。八戸からは、函館行の特急「スーパー白鳥、白鳥」、青森・弘前行の「つがる」が運行を開始しますが、8年後の平成22(2010)年12月には、新青森までの全線が開業し、八戸は途中駅になりました。さらに、平成28(2016)年3月には、北海道新幹線(新青森~新函館北斗間)が開業。列車の運行体系も、「東北・北海道新幹線」となって現在に至ります。

株式会社吉田屋 吉田広城 代表取締役社長

株式会社吉田屋 吉田広城 代表取締役社長

いまから24年前、先代から吉田屋の経営を受け継いだのが、6代目の吉田広城代表取締役社長です。全く異業種からの転身のなか、会社の経営を立て直しながら、新幹線開業・延伸という販売環境の変化など、怒涛の荒波をどのようにして乗り越えていったのでしょうか。

吉田屋の「いわし蒲焼き弁当」(現在は販売終了)を片手に、E2系新幹線電車「はやて」の発車を待つ筆者(2003年撮影)

吉田屋の「いわし蒲焼き弁当」(現在は販売終了)を片手に、E2系新幹線電車「はやて」の発車を待つ筆者(2003年撮影)

●社長就任、「小唄寿司」と社屋以外は全部変えた!

―平成14(2002)年12月、東北新幹線八戸開業を迎えましたが、吉田社長が就任されたのは、その少し前ですね?

吉田:八戸開業の3年前、平成11(1999)年に、私が経営を受け継ぎました。それまで、吉田屋の駅弁は駅前旅館の弁当部のような場所で作られていて、食材を準備するにも、一旦外に出て、渡り廊下の先に冷蔵庫があるといった具合でした。当時は弁当の注文を受けるだけで「営業」のセクションがありませんでした。駅弁の受注で経営が成り立つほど売れているわけもなく、催事もさほどやらず、売り上げがただ下降線を描いていたんです。

―吉田社長が就任されて、大きく変わったことは?

吉田:先代から継承したものは「八戸小唄寿司」と当時の社屋以外ありません。あとは、全部私が変えました。最も変えたのは「商品作り」です。昔は商品開発会議がありました。会議で私が提案すると、古株の方が「そんなもの、作れるか!」と、全否定から入るのが常でした。“変えないことが全て”といった空気がまん延していたんです。私が入ったことで、「付いていけない」という従業員が、だいたい5人に1人くらい辞められていきました。

新幹線八戸開業直後の八戸駅・駅弁売店(2003年撮影)

新幹線八戸開業直後の八戸駅・駅弁売店(2003年撮影)

●新社屋、新幹線、新青森……2000年代、3つの「新しい」ことに、どう対応?

―社屋もすぐに新しいものを建てられましたね?

吉田:新幹線開業1年前に新社屋を建てました。ちょうど、衛生基準が厳しくなってきた世の中でしたので、衛生的な工場にしたかったんです。加えて(地元の駅売りだけでやっていけない以上、催事や輸送駅弁に対応した)賞味期限を延ばした駅弁を作るためにも、衛生的な工場が必要でしたので。駅弁の販路拡大に当たる上で、(賞味期限の問題で)すでに壁に当たっていたんです。

―東北新幹線は、八戸開業が平成14(2002)年、新青森までの全線開業が平成22(2010)年でした。“八戸乗り換えの8年間”はいかがでしたか?

吉田:新幹線八戸開業で、売り上げは2倍になりました。それまで青森は、日帰り出張が難しい土地でした。それが新幹線によって3時間で東京と行き来できるようになったのは、とても革新的な出来事でした。一方、八戸駅はNRE(当時)の売店となり、吉田屋直営の店舗はなくなって大きな影響がありました。全線開業で団体旅行客は若干減りましたが、八戸にお越しになる方も多くて、結果的にそれほど大きな影響はありませんでした。

新函館北斗駅にオープンした当時の「41°GARDEN」にて吉田社長と筆者(2016年撮影)

新函館北斗駅にオープンした当時の「41°GARDEN」にて吉田社長と筆者(2016年撮影)

●北海道新幹線開業で、新函館北斗駅に進出!

―平成28(2016)年の北海道新幹線開業では、初代の方の出身地・新函館北斗駅に「41°GARDEN」を出されました。この背景は?

吉田:取引銀行さんとの話し合いで、「青函エリアをともに盛り上げる」というコンセプトが、受け入れられたのが大きかったと思います。弊社としては、北海道ブランドを使えるようになるのが大きな魅力でした。北海道産と青森産の海鮮食材が品質的には全く同じでも、青森産というだけで三番手になってしまうのが現実です。一番手は北海道、二番が北陸。やっと、その次に“三陸産”が来るくらいなんです。

―「駅弁膝栗毛」では、当時も取材いたしましたが、大変なにぎわいでしたね?

吉田:あのとき、「41°GARDEN」には大変多くのお客様にお越しいただきました。あまりに多くのお金を処理しようとしたため、レジが故障してしまったほどでした。自分でおかずの組み合わせを選べる弁当は評判でしたが、お客様の滞在時間が長く、あとからお越しになったお客様をお待たせすることになってしまいました。結果的に普通に駅弁を販売した方が、お客様の不満は最小にできるかと。あれこれ、盛り込み過ぎましたね(苦笑)。

しっとりうにと大玉ほたて弁当

しっとりうにと大玉ほたて弁当

新函館北斗駅の「BENTO CAFÉ 41°GARDEN」の41°は、北斗市が北緯41度にあることにちなんだネーミングです。現在は駅弁・カフェ弁の販売も行いながら、店内はフリースペースとして、誰でも利用できるようになっています。この「41°GARDEN」と、吉田屋のコラボ駅弁として販売されているのが、「しっとりうにと大玉ほたて弁当」(1580円)。道産の大玉ほたてと吉田屋自慢の“しっとりうに”を使った駅弁で、八戸などでも販売があります。

しっとりうにと大玉ほたて弁当

画像を見る(全10枚) しっとりうにと大玉ほたて弁当

【おしながき】
・醤油味ご飯
・ほたて煮
・ほたての貝柱
・蒸しうにのあんかけ
・厚焼き玉子
・野沢菜辛子漬け
・ガリ

しっとりうにと大玉ほたて弁当

しっとりうにと大玉ほたて弁当

吉田屋自慢の“しっとりうに”とは、駅弁で使われる蒸しうにを、新しい調理技術を用いて蒸しうにでありながら、生うにとの中間ぐらいの“しっとり感”を実現したものだそうです。「いずれは、うになら吉田屋に敵わないというところまで味を進化させたい」と吉田社長も意気込みます。北海道ブランドを活かした大玉ほたてのインパクトはもちろん、ほたての貝柱のうま味が食欲をそそってくれます。

E5系新幹線電車「はやぶさ」、北海道新幹線・新函館北斗~木古内間

E5系新幹線電車「はやぶさ」、北海道新幹線・新函館北斗~木古内間

新函館北斗駅を発車した北海道新幹線「はやぶさ」が、青函トンネルへ向けてスピードを上げていきます。北海道新幹線は、令和12(2030)年度末の札幌開業を目指して工事が進められています。そのなかで、今年(2023年)に入って、北海道新幹線の函館駅乗り入れ構想という新たなトピックも話題になってきました。あと7年あまり、新函館北斗駅の周辺ではさまざまな動きがありそうです。次回は吉田社長に駅弁作りのこだわりを伺います。

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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