神戸の駅弁屋さんは、阪神・淡路大震災のとき、どのようにまちを支えたのか?

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【ライター望月の駅弁膝栗毛】
「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。

ヴィッセル肉めし

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大正12(1923)年9月1日の関東大震災から100年を迎えます。駅弁は138年の歴史があり、多くの老舗駅弁業者は、関東大震災、阪神・淡路大震災、東日本大震災と、さまざまな震災を経験してきました。「駅弁膝栗毛」では、これまで神戸駅弁・淡路屋、仙台駅弁・こばやし両社の震災体験をお伝えしました。今回はその模様を再構成し、新たに小田原駅弁・東華軒の関東大震災当時の記録を加えた3回シリーズでお伝えします。

N700S新幹線電車「のぞみ」、東海道新幹線・小田原~熱海間

N700S新幹線電車「のぞみ」、東海道新幹線・小田原~熱海間

関東大震災100年・駅弁は「食のライフライン」(阪神・淡路大震災編、第1回/全3回)

100年前、関東大震災で被害を受けた地域を、東海道新幹線の列車が駆け抜けます。関東大震災以降初めて、大都市が大きな被害を受けたのが、平成7(1995)年の阪神・淡路大震災でした。神戸駅弁・淡路屋の寺本督代表取締役に、当時の話を伺いました。

神戸港震災メモリアルパーク

神戸港震災メモリアルパーク

●途方に暮れるしかなかった、震災の甚大な被害

―平成7(1995)年1月17日の阪神・淡路大震災、淡路屋はどんな状況でしたか?

寺本:私も震災直後、すぐに本社に駆けつけました。社内のあらゆる者がひっくり返ったり、潰れたりしましたが、幸い本社と工場は無事でした。それから、売店などがある三宮まで二輪車を使って状況を確認に行き、その被害の大きさに驚きました。震災当日は食材が余っていましたので、神戸市内の避難所に届け、喜んでいただきました。地震の発生から3日ほどは忙しかったのですが、4日目にして、することがなくなりました。

―震災では、ライフラインが止まり、鉄道も至るところで大きな被害を受けてしまいました。

寺本:水道・電気・ガスのいずれもストップ。そのなかで電気の復旧がいちばん早く、仮設の電線によって、約1週間で再び通りましたが、ガスと水道は来る気配すらありませんでした。山陽新幹線は西宮市内で橋が落ちて、在来線も至るところで壊れていて、もう3年くらいは列車が来ないのではないかと感じるほどでした。これからどうやって首をつないでいこうか、途方に暮れるしかありませんでした。

三宮「フラワーロード」の震災遺構

三宮「フラワーロード」の震災遺構

●中内功さんの「ひとこと」で目が覚めた!

―そのなかで、再び弁当を作り出すことになったきっかけは?

寺本:震災後も応急営業していたダイエーで中内功さん(当時会長兼社長、故人)にたまたまお会いしました。「君のところは大丈夫だったか?」と心配して下さったので、「建物は潰れていないのですが、ガスも水道も来ないので、まったくお手上げです」と答えました。すると、中内さんは「お前、アホか! 水道やガスなんか来るか! 自分で何とかせい!」と。「えっ、ガスや水道を自分で工事するんですか?」と返すと、「そんなもん自分で考えろ!」とおっしゃったのです。

―中内さんは震災のとき、神戸で陣頭指揮を執られていたんですよね。

寺本:茫然自失状態だった私も、一気に目が覚めました。急いでプロパンガスを配管して、水はアサヒビールさんに手配していただけることになりました。ただ、西宮工場は被災していましたので、吹田工場が東京からタンクローリーを手配して、毎日8時間かけて神戸へ水を運んで下さいました。そしてようやく、地震発生から17日目にして弁当の製造を再開できることになったんです。

1.17希望の灯り

1.17希望の灯り

●震災復興を弁当作りで支えた「淡路屋」

―どのような弁当を作られたんですか?

寺本:神戸市内の避難所の給食を名古屋から運んでいる状況でしたので、それを弊社が受け継ぎました。さらに、インフラ復旧工事のために全国から集まった電力会社やガス会社の皆さんの食事も難儀していましたので、毎日日替わりの1つのメニューに絞り込んで、1日最大3万食の食事を提供しました。当時は大都市の大地震に対するノウハウがほとんどなく、みんなが手探りでやるべきことを見つけていったのが「震災後」ですね。

―阪神・淡路大震災は、京王百貨店新宿店の「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」の期間中でもありましたよね?

寺本:駅弁大会のスタッフは大きな荷物を背負い、神戸から西宮北口駅まで十数キロを歩いて行きました。そこから阪急と近鉄、名古屋から新幹線を乗り継いで、数日遅れで、何とか東京にたどり着いたと聞いています。正直、神戸の本社は駅弁大会のスタッフを気にかける余裕はまったくなくて、明日食べるものもおぼつかない状態でした。東京へ行ったスタッフは、皆さんが心配して下さった上に、お風呂にも入ることができて“天国”だったと、25年あまり経ったいまでは、笑って話すことができますね。

(「ライター望月の駅弁膝栗毛」2021年12月15日公開記事を再構成したものです)

淡路屋・三宮センター街店

淡路屋・三宮センター街店

阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸・三宮のまちですが、30年近い歳月を経て、震災の傷跡を感じさせないにぎわいとなっています。その一角、三宮センター街と生田ロードとの交差点に、今年(2023年)7月29日、神戸駅弁・淡路屋の三宮センター街店がオープンしました。全国各地のアーケード街のなかでも大きな「駅弁マーク」が掲げられたお店は、珍しいのではないでしょうか。

ヴィッセル肉めし

ヴィッセル肉めし

現在、この「三宮センター街店」限定で先行販売されているのが、地元・神戸のJリーグのチームとコラボレーションした「ヴィッセル肉めし」(1200円)です。原型となったのは、もちろん、昭和40(1965)年発売のロングセラー駅弁「肉めし」。スリーブ式のパッケージは、「肉めし」の雰囲気を活かしながら、ヴィッセル神戸のチームカラー、チームのマスコット「モーヴィ」が描かれています。

ヴィッセル肉めし

画像を見る(全10枚) ヴィッセル肉めし

【おしながき】
・カレー風味バレンシアライス
・国産黒毛和牛のローストビーフ風
・すき焼き風牛肉煮
・茹でブロッコリー
・茹でピーマン
・ポテトサラダ
・紫キャベツ塩麹酢漬け

ヴィッセル肉めし

ヴィッセル肉めし

「肉めし」でおなじみのカレー風味が効いたバレンシアライス、タレに漬けたローストビーフ風の薄切り肉に、自慢のすきやき風牛肉煮を加えて開発したという「ヴィッセル肉めし」。「肉めし」のご飯で、2つの牛肉の味を一緒に楽しめるようになったのが、嬉しいものです。なお、ヴィッセル神戸の試合開催の際には、ノエビアスタジアム神戸にある淡路屋の売店でも販売を予定しているということです。

225系電車「新快速」、東海道本線・立花~甲子園口間

225系電車「新快速」、東海道本線・立花~甲子園口間

阪神・淡路大震災で寸断された阪神間の鉄道は、東海道・山陽本線(JR神戸線)が1995年4月1日、山陽新幹線が4月8日に復旧を果たして、震災復興を支えました。いまの淡路屋も、新作弁当の発売に際し、戦災、震災、コロナを超えて、神戸のまちがさらに賑わうように願いを込めていると言います。鉄道が走り、駅弁屋さんがあるまちは、それだけで元気になれるもの。普段から乗って食べて支えたい、我がまちの鉄道と駅弁です。

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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