「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。
国鉄からJRにかけて東海道新幹線で活躍した100系新幹線電車。2階建て車両を連結した新幹線として親しまれ、上の世代の方のなかには、かつて食堂車やカフェテリアを利用した経験をお持ちの方もいることでしょう。そんな東海道新幹線の食にまつわるサービスを担った会社は、時代の流れに合わせて形を変えながら、いまも東海道新幹線の「駅弁」を手掛けています。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第45弾・ジェイアール東海パッセンジャーズ編(第2回/全6回)
東海道新幹線を代表する車窓の1つといえば、静岡県内の茶畑です。大井川を渡って、小刻みに続くトンネルの合間に一瞬広がる茶畑は、緑がまぶしいもの。東海道新幹線のホームにある売店や多くの自動販売機にも、「静岡茶」のペットボトルが、大きいサイズと小さいサイズ、両方揃えられていて、駅弁と静岡茶を一緒にいただくのが、旅の楽しみという方も多いことでしょう。
そんな東海道新幹線の駅弁やお茶を手掛けている「株式会社ジェイアール東海パッセンジャーズ」で、令和3(2021)年6月からトップを務めているのが、松尾啓史代表取締役社長です。JR東海の1期生で、入社後すぐに自社の路線を覚えるため、新幹線を使って乗り歩いた際、各業者が趣向を凝らして製造し、1000円均一で販売した駅弁「新幹線グルメ」(当時)に感銘を受け、駅弁の仕事に将来携わってみたいと感じたと言います。
<プロフィール>
松尾啓史(まつお・ひろし)
株式会社ジェイアール東海パッセンジャーズ 代表取締役社長
昭和39(1964)年11月20日生まれ(58歳)、福島県福島市出身。昭和63(1988)年、JR東海に入社。名古屋駅や名古屋車掌区(当時)、大垣電車区(当時)をはじめとした鉄道の現場を経験し、ビル建設や乗務員の育成を行う総合研修センター所長など、さまざまな仕事を経て現職。趣味は食べ歩き。
●東海道新幹線の駅弁製造、売店や車内販売を手掛ける「ジェイアール東海パッセンジャーズ」
―改めて「ジェイアール東海パッセンジャーズ」とは、どんな会社ですか?
松尾:東京・名古屋・大阪の3つの工場を拠点に駅弁や軽食の製造を手掛けています。このうち、東京工場では、駅弁の他、プロ野球の試合が行われる野球場の弁当なども製造しています。この他、パーサーによる新幹線の車内販売やJR東海と連携した車掌業務、駅構内売店や飲食店やカフェの運営、お茶などの飲料の製造や通信販売サイトの運営といった、幅広い事業を行っています。
―駅弁はもちろん、新幹線の駅で販売されている「静岡茶」などは、私もお世話になっていますが、飲食店なども手掛けられているんですね。
松尾:お客様になじみのある店でいえば、京都駅にあるカレー店「スパイシーマサラ」です。ここでは、かつて東海道新幹線のビュフェで販売していたカレーを再現し、販売しています。私自身、東海道新幹線が開業した年の生まれですので、ビュフェの思い出は決して多くありませんが、マサラのカレーをいただくと何となくあのころを思い出します。あと、東海道新幹線駅構内にある「スターバックスコーヒー」は、弊社がライセンス契約を結び、運営しています。
●新幹線の食堂車を手掛けた日本食堂の流れをくむ「ジェイダイナー東海」
―「ジェイアール東海パッセンジャーズ」のルーツは、2つありますね?
松尾:「ジェイダイナー東海」と「パッセンジャーズ・サービス」です。ジェイダイナー東海は、国鉄時代からの「日本食堂」をルーツに新幹線の食堂車やビュフェ、駅の食堂、駅弁、車内販売などを手掛けてきました。これがJRの誕生から約1年後、昭和63(1988)年に分割され、JR東海の資本が入ったジェイダイナー東海となったわけです。弊社の原形ともいえる会社ですね。
―当時の時刻表では、「ジェイダイナー東海」はJD、「パッセンジャーズ・サービス」はSPSと表記がありましたが、“SPS”は何のためにできた会社ですか?
松尾:昭和62(1987)年、国鉄からJRになって、これから鉄道のサービスを変えていきましょうとなったとき、JR東海が作った会社です。ジェイダイナー東海の前身・日本食堂にはJRの資本は入っていませんでした。JRも「お客様目線の会社になろう」と動き出して、「列車のサービスも変えていく」という観点から「お客様が求めていることは何か」「それにどんなサービスができるのか」ということが強く求められて作られた会社です。
●2階建て新幹線の「カフェテリア」を手掛けた「パッセンジャーズ・サービス」
―「パッセンジャーズ・サービス」が主に手掛けていた仕事は何ですか?
松尾:昭和63(1988)年に登場した100系新幹線電車(G編成)の「カフェテリア」です。カフェテリアは、それぞれが好きな食べ物を選んで、組み合わせていく方式ですが、これを新幹線の弁当でもできないかと始まりました。弁当を小分けにし、総菜などを取り揃え、お客様に選んでいただけるようにいたしました。当初は戸惑われるお客様も多く、惣菜が取りにくいなどの課題もありましたが、改善を重ね、新生JRらしいサービスとなりました。
―「カフェテリア」は、確か2階建て車両の1階にありましたね?
松尾:2階建て車両を2両連結した100系新幹線電車(X編成)は、8号車2階が食堂車でした。好景気もあってより多くのお客様にご利用いただけるようになったため、座席数を増やすことが求められ、(増備の際)2階をグリーン車としました。そして8号車の1階を食堂車の代わりに「カフェテリア」としたG編成が生まれたわけです。「お客様に好みに合わせて選んでいただくサービス」が時代に合っているのではないかという考えもありました。
●日本食堂からの伝統を守る「深川めし」!
―「日本食堂」時代から販売されている駅弁が、いまもありますね?
松尾:昭和62(1987)年に生まれた「深川めし」(1080円)です。郷土料理の深川めしには、ぶっかけ飯系と炊き込みご飯系の2種類があります。同じ弁当をルーツとしているJR東日本クロスステーションさんの「深川めし」は最近、ぶっかけ飯系にチャレンジされていて美味しいですが、弊社の「深川めし」は、駅弁としての原点を守りたいということで、(日本食堂時代からの)炊き込みご飯の深川めしを製造・販売しています。
【おしながき】
・あさりご飯
・穴子蒲焼き
・あさりの煮付け
・おかか醤油和え
・海苔の佃煮
・玉子焼き
・油揚げ煮
・べったら漬け
駅弁ならではの炊き込みご飯系を守る、ジェイアール東海パッセンジャーズの「深川めし」。穴子の蒲焼きやべったら漬けといった、江戸風情を感じさせる昔ながらの味は健在です。一方、焼海苔が佃煮になるなど、細かいリニューアルは行われており、時代に合わせた進化が続いていることも感じられます。東京駅で2社に継承されている駅弁「深川めし」。懐かしさのなかに現代らしさを探しながら味わえば、一層美味しく感じられそうです。
博多から1000km以上を駆けてきた「のぞみ」号が、品川駅へと入っていきます。東海道新幹線の品川駅は平成15(2003)年10月1日に開業しました。このときのダイヤ改正で、「のぞみ」は、1時間に最大3本だった列車が、最大7本に増発され、山陽新幹線への直通列車も大幅に増えました。それから20年、いまは1時間に最大12本の「のぞみ」が運行されています。次回は品川駅開業時に開発された駅弁について伺います。
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連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/