久しぶりに本州に戻ってきた「駅弁膝栗毛」。
今回は、東海道線を下って熱海からJR東海313系電車の普通列車富士行に乗り継ぎます。
静岡エリアの東海道線は、概ね「熱海~島田」「興津~浜松」「浜松~豊橋」の3パターンがあって、静岡都市圏を形成する興津~島田間は毎時6本、およそ10分間隔の運行。
これに熱海~富士間、掛川~豊橋間などの区間列車が加わる時間帯があるんですね。
熱海から富士までは、普通列車で40分あまり。
富士には昔、寝台特急がたくさん停まりましたが、今は朝・夜の「サンライズ瀬戸・出雲」のみ。
これに日中、身延線直通の特急「ふじかわ」が加わります。
私自身は、この富士駅から急行「東海」(1996年特急化、2008年廃止)に乗って上京しましたので、思い入れのある“ふるさとの駅”といえましょうか。
今回は5/27(土)に、この富士駅をスタート・ゴールとして行われたJR東海の「さわやかウォーキング」に参加しました。
「さわやかウォーキング」とは、JR東海エリアの駅を起点として、週末を中心に、参加費無料、予約不要で行われている人気のウォーキングイベント。
既に25年以上の歴史があり、去年(2016年)も「駅弁膝栗毛」ではご紹介しましたね。
この日のウォーキングテーマは、「富士のふもとの大博覧会と鉄道のお仕事紹介」。
全長およそ14kmという少し長めのコースですが、最後に待っているのが新富士駅の駅弁屋さん「富陽軒」とJR東海「富士運輸区」。
14km歩いて、駅弁屋さんと列車の“車庫”を目指すという、まさに“駅弁膝栗毛”なウォーキング!
JR東海30周年記念ということで、なかなか面白い企画をやってくれました!
コースのはじめから、鉄分たっぷり!
富士駅から分岐する身延線(みのぶせん)の廃線跡が、最初の目玉ポイントです。
製紙会社と富士急静岡バスの車庫に挟まれた道が、緩やかに左カーブを描いていますよね。
この線路の跡っぽいカーブが、鉄道好きにはたまらないもの。
ココを吊りかけモーターの音と共に80系準急「富士川」や、旧型国電が走っていたのでしょう。
静岡と山梨を結ぶ身延線は、昭和44(1969)年まで、富士駅を東回りで発車していました。
しかし、国道1号(現・静岡県道396号)と平面交差することや、東京方面からの団体列車が増えたこともあり、現在の西回りルートに変更、合わせて複線化されました。
跡地は、富士市によって「富士緑道」として整備され、気軽に廃線探訪を楽しむことが出来ます。
今回は本市場駅跡付近を遠くに望みながら、旧東海道に沿うように吉原宿方面に向かいます。
休憩しやすいように、公園を経由するウォーキングコースが設定されています。
5月末の富士市中央公園は、ちょうどバラが見ごろを迎えていました。
初夏の日差しの下、富士山とバラを一緒に眺めれば、一服の清涼剤といったところ。
実は、富士市の市の花が「バラ」なんだそう。
これらのバラは、地元のボランティアの方が手入れをされているといいます。
さて、富士市・旧・吉原宿近くの“鉄分濃いめ”スポットといえば、「新通町公園」。
実はココ、国鉄時代の昭和58(1983)年に、“日本で初めて”引退した新幹線の車両が、街の中で展示された公園なんだそう。
0系は屋根をかけられ、大事に保存されている様子を見ると、鉄道への愛が感じられますね。
「さわやかウォーキング」参加者は、制帽をかぶって記念パネルと共に記念撮影サービスも!
「新通町公園」の0系は、「こだま」で運用されていたK11編成の1号車(21-59)。
昭和43(1968)年に作られ、昭和58(1983)年に引退して、浜松工場からやってきました。
今も開放されている日には、無料で車内に入ることも出来ます。
一部に懐かしい青とシルバーの転換クロスシートが残されているほか、国鉄の新幹線時刻表が、そのまま掲示されているなど、国鉄の痕跡たっぷりの車両なのです。
運転席は、入れ替わり立ち代わりで大人気!
新幹線0系は、昭和39(1964)年から昭和61(1986)年まで、23年間にわたって車両メーカー6社で合計3216両が製造されました。
中でも新通町公園の0系は、初期に作られた0系の運転席に入ることが出来る貴重なスポット!
日本鉄道史に燦然と輝く名車「0系」、いつまでも大事に保存していってほしいものです。
(参考)日本車両ホームページ
ウォーキングコースは、旧東海道吉原宿をかすめるようにして南へ下り、去年(2016年)に部分開通した国道139号のニュースポット「富士山夢の大橋」へ。
橋上からは遮る建造物もなく、全通の際には富士山ビューポイントとして有名になるかも!?
さらにこの日、新富士駅近くの「ふじさんメッセ」で開催されていた食のイベント「富士のふもとの大博覧会」を経由して、いよいよ駅弁屋さんへ!
富士山をバックに建つのは、富士・新富士・富士宮の各駅で駅弁を販売している「富陽軒」。
ちょうど、身延線の富士~柚木(ゆのき)間にあります。
この日は、ウォーキング参加者の「給水ポイント」として「富陽軒」も協力されていました。
私自身は昔、この近所に叔母の家があり、富士駅から歩いていく時によく見ていた場所。
幼いながらも『ココで駅弁が作られているんだぁ・・・』と見ていた記憶がよみがえってきました。
本社前には、東海道本線・富士駅と「富陽軒」の年表が掲示されていました。
富士駅の開業は、東海道線の全通より遅い明治42(1909)年。
駅前に出来た製紙工場が操業を開始した翌年にあたり、このため今も貨物輸送が盛んです。
一方、「富陽軒」の創業は、大正10(1921)年。
富士身延鉄道(身延線)が身延まで延伸した翌年のことで、駅弁需要の高まりが伺えます。
(参考)「王子マテリア」ホームページ
「富陽軒」の新旧織り交ぜた様々な駅弁の掛け紙も展示されていました。
ウォーキングのチェックポイントとして駅弁屋さんを組み込んだのは、ちょっと面白い試み!
駅弁作りも立派な「鉄道のお仕事」の1つですよね。
参加した皆さんには有難いオアシスになったでしょうし、改めて「駅弁文化」というものを認識して貰える機会になったのではないかと思います。
加えて、富陽軒創業当初からの駅弁「いなりずし」(2個入、200円)を販売!
「さわやかウォーキング」参加者限定の掛け紙も用意されました。
この掛け紙が秀逸で、歴代の掛け紙と共に現役のN700系、313系電車は勿論、0系、ウォーキングコースにもなった『東回りの身延線』がスカ色の旧型国電と共に描かれていました。
これは14km歩いた価値があるというものです。
コチラは現在、レギュラーで販売されている「いなりずし」(430円)。
富士駅のほか、新富士駅(ホーム売店のみ)などで購入可能です。
大正10(1921)年の創業当初は、15銭でした。
当時の省線(国鉄)の初乗り運賃が5銭、今、富士から1駅の柚木までは140円ですので、富陽軒の「いなりずし」の価格帯は、昔も今も変わらず、ほぼそのままといえそうです。
東海道線らしい湘南色と新幹線の青ともいえる3色の掛け紙を外すと、お揚げの甘い匂いと共に、5つの「いなりずし」が姿を現しました。
富陽軒の「いなりずし」の特徴は、何と言っても、酢飯に昆布を混ぜ込んでいること。
よ~く見ると、お揚げから透けて、昆布が見えますよね。
実はこれ、96年前の創業当初からの伝統といいますから驚き!
“昆布入りの酢飯”は、当初から風味がよく、評判が高かったといいます。
今から100年近く前、ひと手間かけたこの「いなりずし」を手にした人は、さぞ嬉しかったでしょう。
「駅弁膝栗毛」でも様々ないなりずしをご紹介していますが、各社、ホントに個性がある!
たぶん同じ素材で、各社さん同時にお稲荷さんを作ったとしても、全く違う味になりそうです。
稲荷寿司自体は200年弱の歴史といわれますが、改めて奥の深い食べ物だなぁと思います。
富士から分岐する身延線の看板列車といえば、特急「ふじかわ」号。
大河ドラマでは甲駿国境付近がきな臭いことになっていますが、時代背景をよりよく理解するなら、東海道線~身延線伝いに今川と武田の戦跡を巡ってみるのもいいでしょう。
週末には静岡~甲府間が1日乗り放題の「休日乗り放題きっぷ」(2,670円)も販売中。
伝統の駅弁片手に“歴史を感じる”旅も面白いですよ!
(取材・文:望月崇史)
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/