【ライター望月の駅弁膝栗毛】
津軽平野を駆け抜ける短い4両編成の列車は、秋田と青森を結ぶ特急「つがる」。
北東北の紅葉の赤に稲穂をイメージした黄色のラインが入ったE751系電車は、平成12(2000)年に東北本線・盛岡~青森間の特急「スーパーはつかり」としてデビューしました。
その2年後、東北新幹線・八戸開業に伴って、八戸~青森・弘前間の特急「つがる」に。
そして、平成22(2010)年の東北新幹線新青森開業で、今の運行区間となりました。
(参考)JR東日本プレスリリース(平成11(1999)年12月17日)ほか
「つがる(津軽)」は、国鉄時代からの由緒ある列車の愛称。
高度経済成長時代から平成の初めまでは、上野~青森間を奥羽本線経由で結ぶ夜行列車、いわゆる“出世列車”として名を馳せた急行「津軽」として運行されました。
昭和45(1970)年には、同じルートに寝台特急「あけぼの」が誕生して“出世列車”の一角を担い、平成26(2014)年まで多くの人に愛されていたのは、記憶に新しいところです。
ちなみに、急行「津軽」と駅弁では、米沢の大人気駅弁「牛肉どまん中」の牛肉の切り方は、夜行列車時代の急行「津軽」に影響されたもの・・・なんて話も。詳しくは「コチラ」!
客車列車が電車になり、急行が特急になり、漢字がひらがなになっても、「つがる」と名乗る列車の車窓には、いつも津軽のシンボル「岩木山」がありました。
「お岩木山」「お岩木様」の敬称からも、地元の皆さんの岩木山への思いが伝わってきます。
津軽富士とも呼ばれるその美しい山の形は、車窓からも思わず見とれてしまうもの。
特に五能線の分岐駅・川部周辺は、岩木山の絶景ポイントとして知られています。
(参考)岩木山観光協会ホームページ
この美しい岩木山がそのまま掛け紙になったのが、五所川原市にある「つがる惣菜」が製造している駅弁「津軽」(1,000円)です。
東北新幹線全線開業の前年(2009年)、太宰治生誕100年をきっかけに誕生。
以前は、新青森駅での販売もありましたが、現在は弘前駅コンコースの「津軽弁」売り場での限定販売となっています。
【お品書き】
・若生い(わかおい)のおにぎり
・いなり寿司
・鮭の飯寿司(いずし)
・味付け身欠き鰊
・帆立黄金焼き
・イカメンチ
・もっこり卵のだし巻き卵
・きゅうりの辛子漬け
・すしこ
「つがる惣菜」の先代の社長さんが、五所川原で行われた太宰生誕100年を記念した演劇に出演したことをきっかけに、太宰の食にまつわる文献を読み漁ったといいます。
そこから太宰の「好物」と思われる食べ物を折に詰めて出来たのが、この駅弁なんだそう。
新青森開業時に初めていただいた時から、津軽の名物が食べやすい形でコンパクトにまとまっており、個人的には好きな駅弁でしたので、弘前でしっかり生き残っていてホッとしました。
特に驚いたのが、津軽のいなり寿し。
津軽のいなり寿し文化は、紅しょうがを入れた”赤いいなり寿し“なんだということを、この駅弁をきっかけに知ることが出来ました。
せっかく弘前へ来たのに、この駅弁を食べずに帰るのは“人間失格”かも!?
新幹線が停まる新青森駅から、市街地中心部の青森駅までは、1駅5分あまり。
このため、新青森~青森間は、特急「つがる」でも、普通車自由席に乗車券だけで乗車できる特例が設けられています。
また「リゾートしらかみ」など、全車指定の快速列車も、新青森~青森間に限り、乗車券のみで空席に乗車できる特例があります。
さあ、次回は、津軽の有名なローカル私鉄を訪ねます!
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/