CDショップ『マイナー堂』閉店~青梅マラソンとともに走った歴史
公開: 更新:
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
〝日本の市民マラソンの草分け〟とも呼ばれる青梅マラソン……東京オリンピック銅メダリスト「円谷幸吉選手と走ろう」を合言葉に、1967年、誰でも参加できる大衆マラソンとして始まりました。
第53回を迎える今年は2月17日(日曜日)に開催され、10kmの部と30kmの部、合わせて1万9,000人が青梅市役所前をスタートします。
旧青梅街道をしばらく走ると、駅前のレトロな商店街が見えて来ます。沿道の声援と共に、おや? なんだか懐かしい曲が……松村和子さんのヒット曲『帰ってこいよ』のサビの部分が、繰り返し、繰り返し聞こえて来ます。
音の出どころは、CDショップの「マイナー堂」さんです。昔ながらのCDショップを営むのは、二代目・須崎八洲治さん、69歳……。
「うちの父がランナーを音楽で励まそうと、当時ヒットしていた『帰ってこいよ』を流したのが始まりです。1981年、15大会からですよ……」
当時、須崎さんはお店を継ぐかどうか迷っていた時代でした。3歳からバイオリン、5歳からピアノを習い、将来はクラシックの奏者か、音楽の先生になるか……。それが中学生のとき、ラジオから流れて来るビートルズを聴いて、音楽大学付属高校への進学をやめ、都立高校へ。
その後、立教大学に入学すると、ロックバンドを結成。大学4年のとき、銀座の大手楽器店から内定をもらいますが、当時ロックからジャズに傾倒していた須崎さんは、音楽の専門学校で勉強をし直し、ジャズピアニストを目指します。
その頃はレコードが飛ぶように売れる時代、お店は大忙し! 須崎さんは「ミュージシャンとして音楽を売る自分」と「店でレコードを売る自分」を、32歳まで並行して続けました。
店番をしていて、いちばん嫌だったのが、店に演歌が流れていること。
(もっと素晴らしい世界の音楽を、お客さんに紹介したい……)
そんなある夜、ベロベロに酔っ払った大柄な男が店に入って来ました。「おい、大川栄策の、さざんかの宿、あれ聞かせてくれよ」
男の足元はおぼつかず、立っているのもやっと、目はうつろでした。からまれたくないと思い、レコードにそっと針を落とすと、なんと男がポロポロと涙を流し、曲が終わると泣き崩れました。
「あぁ、音楽って、これほど人の心を打つんだ。クラシックが高尚で、演歌が低俗、そんなものはないんだ。たとえマイナーな曲でも、いい音楽を探してこの店で売っていこう。それが僕の仕事なんだ!」
そう決意した須崎さんは、元日以外、休まずに働き通します。
50代後半、体調を崩したのがきっかけで、10年前の59歳のとき、健康のために青梅マラソンに挑戦! 無茶だと言われた30kmを走れたことで、マラソンにハマります。去年は2時間48分で完走!
普段、須崎さんは月に100km~150kmを走り込んでいます。お店をやっていても、昼休みの30分を利用して5kmを走り、それを日課にすれば、月150kmは走れるそうです。
しかし、最近は90歳を過ぎた両親の介護で練習がままなりません。お店の方も、スマホやネットの時代になってCDの売れ行きが落ち、さらに映画看板で知られる青梅の商店街から、名物の看板が老朽化で次々と撤去されて、「昭和レトロの町」が消えつつあります。
「これも時代の流れ」と思った須崎さんは、昭和28年から続けて来たマイナー堂を、3月31日に閉店する決意をしました。名物の『♪帰ってこいよ』は、今年が最後になるそうです。
須崎さんにとって、今年は11回目の30km出場ですが、心配なのが、両親の介護でほとんど練習ができなかったこと。制限時間のうちに帰って来ることができるのか……21km付近には、通称「心臓破りの丘」が待っていて、途中棄権という不安が頭をよぎります……でも、須崎さんは笑顔でこう言います。
「今年の『帰ってこいよ』は、僕への応援歌になるかもなぁ」
マイナー堂
住所:〒198-0084 東京都青梅市住江町63
電話:0428-22-3926
営業時間 午前10時~午後8時
※閉店の3月31日まで営業を続けます。
■3月から「閉店セール」を予定しています。お店の広さは12坪ほどで、その半分は演歌。他にも、昭和歌謡、アイドル、フォーク、ロック、ジャズ、クラシックなど。CD、カセット、DVD、1万枚を超える品揃えだそうです。
上柳昌彦 あさぼらけ
FM93AM1242ニッポン放送 月曜 5:00-6:00 火-金 4:30-6:00
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ