3.11~被災地が見た夜空の記録を、プラネタリウム番組へ
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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
今年もあの日、3月11日が近づいて来ました。
日本人として忘れられない日、忘れてはいけない日。3月11日。街が、家が、人々が、日常の全てを奪われてしまったその日にも、夜のとばりがおとずれ、漆黒の闇が変わり果てた地上を包みました。
仙台市青葉区錦ケ丘の仙台市天文台の大江宏典さんは、その夜のことをふり返ります。
「ふと空を見上げたんです。異常なほど晴れ渡った夜空に、気味の悪さを感じました。あまりにも美しい星たちに、何だかゾッとしてしまったんです」
後にわかったことですが、この日の見事な星空を沢山の人が見上げていました。がれきの間でふるえながら、避難所で救援物資を待ちながら、暗闇のなか、行方不明の家族の名前を叫びながら…。見上げた夜空のことを人々は、決して忘れないでしょう。
大江さんは、新聞記事や人々の証言などを集めながら思いました。
「この日の夜空の記録を、プラネタリウムの番組にしたい」
人々が絶望的な思いを抱きながら、それでも見上げていた夜空の星たち…。
その番組『星空とともに』は、翌年2012年3月に公開され、多くの人々の感銘を呼びました。
大江さんの取材は、それからも続きました。7人の被災者に実際にあってインタビューを重ね、あの日から8年目を迎えようとしているいま、プラネタリウム番組の第2章を完成させました。
タイトルは『星よりも、遠くへ』…。全国のプラネタリウムが、その公開を待ち望んでいます。
『星よりも遠くへ』に登場する証言者の1人、阿部任さんは、震災当時高校1年生。おばあさんと2人で9日間、宮城県石巻市の実家に閉じ込められました。津波に流された家のなかで辛うじて持ちこたえた一室。夜は寒さにふるえながら、天井の隙間から夜空を見ているしかありませんでした。
おばあさんと2人、9日後の救出は大きなニュースになりました。しかし「奇跡の人」のような扱われ方には大きな戸惑いを感じたと言います。ですから長い間、あの日のことを語り、振り返るのは避けて来ました。
阿部さんは大江さんのインタビューに応えて、こう語っています。
「あの夜は多くの人が星を見つめていたそうです。それなら僕もそのなかの1人に過ぎない。『震災の夜は星がきれいだったね』と、誰かにそう言えるだけで僕は少しホッとするんです」
石巻市の今野初美さんは、あの夜の星空を見ていなかったと言います。84名の児童が犠牲になった大川小学校近くの集落で、公民館に近所の人と避難していました。布団や食料を運んで、お年よりを守る。空を見る余裕なんかなかったと語ります。
しかし今野さんは後に、市の中心部で暮らしていた長女の春菜さんと孫の杏ちゃんを、保育園の迎えの帰り道、津波で失っていました。看護師のしっかり者の娘さんとよくなついてくれたお孫さん…。4月中旬、地元の河北新報に載った女性の投書に目が留まったそうです。
『あの夜の星空は、亡き人が道に迷わず天国へ行けるようにと導く明かりだったのではないでしょうか』
今野さんはやっと少しだけ救われたような気がしたと言い、こう語っています。
「春菜も杏も、きっと一緒に天国に行けたんだよね」
今野さんはいまも晴れた夜には外に出て、星に語りかけるそうです。「きょうは寒いね」「会いたいねぇ…」すると南の方の星が、チカチカッとまたたくことがあると言います。
「あ…、聞こえてるんだね」 切り抜いた河北新報の投書は、いまもときどき読み返すそうです。
取材を重ね『星よりも、遠くへ』の脚本を書いた大江宏典さんは、天文学の立場から、いまあらためて思うそうです。
「地震も津波も災害と言うより、地球という星の自然現象なのでしょう。私たちはその星の上に文明を乗っけて生きている小さな存在です。だから何が起きてもおかしくありません。その心の備えと構えをもって、毎日を真剣に生きて行きたいものです」
仙台市天文台の大江宏典さんたちが作った、2011年3月11日の夜空の記録
第2章『星よりも、遠くへ』
東京近辺の3月の上映スケジュールをご紹介します。
■足立区の体験型複合施設「ギャラクシティ」のプラネタリウム「まるちたいけんドーム」
■さいたま市宇宙劇場
■千葉県・白井市文化センター
■東京都・東大和市立郷土博物館~など、全国のプラネタリウム13館での投映が決まっています。
詳しい日程は、それぞれの施設にお問い合わせください。
上柳昌彦 あさぼらけ
FM93AM1242ニッポン放送 月曜 5:00-6:00 火-金 4:30-6:00
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ