【ライター望月の駅弁膝栗毛】
福島・山形県境の板谷峠に立ちはだかるJR線有数の急勾配・36パーミル(1,000m走ると36m登る)の坂を登って来たE3系新幹線電車の山形新幹線「つばさ」号。
新幹線開業まで福島~米沢間には、赤岩・板谷・峠・大沢と、スイッチバックが4駅続き、多くの鉄道ファンに愛されて来ました。
いまは1日6往復の普通列車だけが停まる駅として、改めて注目を集めています。
板谷峠を挟んだ奥羽本線・福島~米沢間は、明治32(1899)年5月15日の開業。
米沢駅も今年で開業120周年の節目を迎えます。
この米沢駅と共に歩んで来た駅弁屋さんが「松川弁当店」。
全国の駅弁屋さんの厨房に伺って、トップの方にお話を聴く駅弁膝栗毛の人気シリーズ「駅弁屋さんの厨房ですよ!」の第14弾は、松川弁当店・林社長の登場です。
林真人(はやし・まさと) 株式会社松川弁当店 代表取締役
昭和41(1966)年5月31日生まれ、52歳。
東京・池袋の武蔵野調理専門学校を経て、銀座の料理店で修業。
23歳のとき、お父様のご病気のため地元・米沢に戻り、松川弁当店入社。
米沢駅での立ち売りや、特急「つばさ」号での車内販売に従事した経験を持つ。
平成5(1993)年、27歳で「松川弁当店」の七代目社長に就任。
●創業120周年の松川弁当店!
―「松川弁当店」は明治32(1899)年創業、今年(2019年)で創業120周年ですが、奥羽本線の開業とともに駅弁に入られたきっかけは?「松川弁当店」は、米沢の仁科家にルーツを持つ駅弁屋です。
仁科家はいまも米沢にある「三友堂病院」を経営したり、薬を扱う仕事をしていましたので、昔の国鉄の前身となった組織からも大きな信頼を得ていました。
そんなことから明治32(1899)年の米沢駅の開業と共に、構内営業を認められました。
ただ、最初は駅弁ではなく、雑貨や自家製アイスクリームなどを販売していたと言います。
―“松川”の屋号の由来は?米沢では最上川のことを、いまも「松川(まつかわ)」と呼んでいます。
経営は林家ですが、屋号はこの「松川」に由来した「松川弁当店」となりました。
米沢は板谷峠越えの前の駅ということで、(機関車の付け替えなどもあって)列車の停車時間が長く、ひとたび列車が着くと一斉に列車の窓が開いて、多くの方が窓から手を伸ばして、様々なものを買って下さったと言い伝えられています。
●上杉鷹山公の教えで生まれた名物を駅弁に!―最初の駅弁はどんなモノだったのですか?
残念ながら、最初の頃の記録が残っていません。
明治32年の段階で、弁当を販売していたかどうかは分かりませんが、100年以上は販売され続けていると云われるのが、「鯉弁当」(1,300円)です。
当初は三段重ねの重箱で、じゃがいもやにんじんなどの煮つけもたくさん入った“豪華な”駅弁だったと聞いています。
上杉鷹山公の教えで始まった「鯉の養殖」ですから、当時はよく食べられていたのです。
―聞いた話では、自宅で養殖されていたそうですね?工場の横に、大きな鯉の養殖池がありました。
「鯉弁当」を作るときは、そこに放していた鯉を取って、調理場へ持って行き、ぶつ切りにして炊いていたのです。
でも、昭和30年代の後半くらいから、日本人の食文化が大きく変わって来ました。
正直、私もいまは、お正月など1年に数回、米沢の鯉を食べるくらいかと…。―駅弁では、いまも「鯉弁当」を作られているんですよね?
松川弁当店は、鯉から始まった駅弁屋ですので、いまも「鯉弁当」を作っています。
ただ、普通に「鯉弁当」を製造しても、採算ベースに乗りませんので、2日前までにご予約いただく形で販売させていただいています。
「鯉弁当」をお求めになる方は、やっぱり米沢にゆかりのある方が多いです。
米沢出身でいまは遠く離れて暮らしていたり、米沢に住んでいた経験があって、久しぶりに戻って来たときに「懐かしい味」として、ご予約いただいて召し上がる方が多いです。
(松川弁当店・林真人代表取締役インタビュー、つづく)
【おしながき】
・白飯 梅干し
・鯉の甘煮
・玉子焼き
・煮物(人参、椎茸、筍、がんも)
・絹さや
・しそ巻
・ふき味噌
・赤かぶ酢漬け
米沢藩を立て直した名君・上杉鷹山公が推奨したとされる「米沢の鯉」。
白布温泉や小野川温泉など米沢市内の温泉宿では、いまも夕ご飯に米沢牛と合わせて、出されることが多い郷土料理です。
「鯉弁当」の甘煮も、宿の鯉料理同様、骨まで煮込まれ、特有の臭みも全くありません。
100年以上続く全国有数のロングセラー駅弁・松川弁当店の「鯉弁当」は、鷹山公の思いをいまに受け継ぐ、松川弁当店の原点とも言える駅弁なのです。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/