それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
早いところではもう夏休みが終わって、今週から授業が再開した、という学校もあるのですね。
児童・生徒さんたちの胸の内を想像すると、何とも気の毒です。海もない、花火もない、帰省もない。そんな夏休みは、子どもたちの胸のなかに将来、どんな影を落とすのでしょうか。
実は、もう1つないものが気になっているのです。それは、スイカ。
スーパーに行けば、スイカはたくさん売っています。しかし、ほとんどは4つ割り、あるいは8つ割り。またはブロックと呼ばれるような、ポリ容器に詰められたスイカの切り身です。とんがり帽子のように、細く切った三角スティックもあります。
つまり、丸ごと1個のままのスイカは、もう売れないのでしょう。昔の八百屋では、指先でスイカをポンポン叩き、「奥さん、これは甘いよ。持って行く?」という売り方をしていました。テレビや雑誌も「甘いスイカの見分け方」という特集をさかんにやったものです。
母親が重たいスイカを下げて帰って来ると、子どもたちは大喜びでした。「いつ食べるの?」「ねえ、いつ割るの?」と大騒ぎ。
待ちに待ったスイカを割る日が来ると、家族がテーブルの周りに全員集合。スイカをまな板にゴロンと乗せて、包丁を入れると、ハリハリッと音を立ててスイカが割れます。電球に照らされる真っ赤な果肉に、家族のコーフンは最高潮です。
「八百屋のおじさんが言っていた通り、真っ赤だわ!」
ザクザク切り分けたスイカを持って、子どもたちは縁側へ移動……ペッペッとタネを吹き飛ばしながら、夢中でかぶりつきます。「タネを飲むなよ! 盲腸になるぞ!」と、お父さんがウソを言ったものです。
スイカをめぐる日本家庭の原風景。いまではもう、ほとんど見かけなくなりました。丸ごとのスイカが売れにくくなったのは、冷蔵庫に入らないせいか、それとも食べた後に大量のゴミが出るからでしょうか?
『すいかの名産地』という童謡がありますが、正真正銘のスイカの名産地である山形県・尾花沢市は、知恵を絞って「尾花沢スイカ」の普及につとめています。
尾花沢市が加わる「JAみちのく村山」のスイカの出荷量は、玉数にすると、およそ250万個! 7月中旬~8月の販売では日本一です。
「JAみちのく村山」では、「日本すいか割り推進協会」を設立。「スイカ割りはスポーツだ」を合言葉に、スポーツとして誰もが気軽に楽しめるように、何とスイカ割りの公式ルールまでつくりました。
「JAみちのく村山」の大場さんは、「尾花沢市で毎年開催される『全日本すいか割り選手権大会』も、今年(2020年)は新型コロナウイルス感染予防のため、見合わせなければなりません」と悔しそうです。でも、せっかくなのでこの際、スイカ割りの公式ルールをご紹介しましょう。
■第1条(競技場所)
競技場所は、できれば『砂浜』又は、『芝生の広場』が最適である。スイカと競技者(割る人)の距離は、5m以上7m以内とする。
■第2条(用具)
棒は、直径5cm以内、長さ1m20cm以内とする。目隠し用として、手拭いまたはタオルを準備する。スイカは『日本国産すいか』を用いる。
■第3条(競技者)
競技者はスイカを『割る人1名』と『サポーター複数』で1組とする。『サポーター』は『割る人』に『アッチだ』『ソッチだ』とアドバイスを出さなければいけないので、事前にサポーターの声を認識しておくこと。審判員となるには、スイカが大好きであることを条件とする。
いかがでしょう? このように、こと細かなルールが決まっているのです。地元のみなさんのスイカ愛が、じんわりと伝わって来ませんか?
ちなみに、スイカ割りのルーツは諸説あります。豊臣秀吉が安土城建築のとき、士気高揚のために始めたという説。京都の神社にある『恋占いの石』に目隠しをしてたどり着くと、恋が実るという言い伝えが起源という説。
あるいは、佐々木小次郎の頭をスイカに見立て、その怨霊を静めたという伝説など、突っ込みどころ満載の諸説が入り乱れているようです。
丸ごとスイカが日本の家庭に復活すれば、私はどれでもいいのです。このままでは子どもたちが、スイカの絵を描けなくなってしまいます。
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