【ライター望月の駅弁膝栗毛】
東海道線の普通列車熱海行が、右に大きくカーブを描いて大船駅に入ってきました。
今年(2017年)で開業130周年を迎えた、東海道線の横浜~国府津間。
大船は当初、戸塚~藤沢間に設けられたすれ違い設備のみの「信号場」で、駅に昇格したのは、翌・明治21(1888)年のことです。
さらにその翌年、大船駅の発展を決定づける出来事が起こります。
それは「横須賀線」の開通。
明治時代、横須賀には海軍の鎮守府が置かれ、軍事上、重要な街となりました。
合わせて、横須賀と東海道線を結ぶ鉄道の敷設が求められるようになり、横須賀から最短距離にあった大船駅が分岐点となった訳です。
以来、大船は東海道線と横須賀線の接続駅として、大きな発展を遂げていきます。
(参考)鎌倉市、横須賀市ホームページ
この大船で明治31(1898)年から駅弁を手掛けているのが「大船軒」。
来年で創業120周年を迎える、全国の数ある駅弁屋さんの中でも老舗です。
現在も本社は大船駅西口の近くにあり、昭和6(1931)年築のレトロな社屋が健在!
本社の一角は、カフェの「茶のみ処大船軒」になっています。
そんな「大船軒」で最も歴史ある駅弁といえば?
実は「大船軒サンドウヰッチ」(530円)なのです。
発売されたのは「大船軒」創業の翌年、明治32(1899)年のこと。
勿論、日本で初めての「サンドイッチ駅弁」で、コチラも間もなく120年を迎えます。
「大船軒」創業者の富岡周蔵(とみおかしゅうぞう)氏が、政府重鎮・黒田清隆(くろだきよたか)と交流があり、西洋事情に詳しかった黒田から「サンドイッチを作ったらどう?」と提案を受けたのが出来たきっかけなんだそうです。
「大船軒サンドウヰッチ」といえば、何と言っても“鎌倉ハム”を使っているのが特徴。
当初は舶来のものを使っていたそうですが、人気を博したことで、段々と生産が追いつかなくなり、自家製のものを作ろうということになったといいます。
最初は大船軒の中にハムの製造部門を作り、後に子会社としてハムの製造部門を分離して、「鎌倉ハム富岡商会」となりました。
比較的近年までハム工場も大船軒本社の前にあったそうですが、現在では、親会社であるNREの工場で、鎌倉ハムを使用してつくられています。
もちろん、昔ながらの味は、しっかりと守られています。
厚切りの鎌倉ハムのサンド4つとチーズサンド2切のシンプルな構成。
シンプルなのにしっかりお腹に溜まります。
やっぱり長く続く駅弁って“必要十分条件”を押さえていて、無駄がないんですよね!
肉厚なハムと辛子マヨネーズのバランス、フワッとした食感の柔らかいパン・・・。
100年以上続く“文明開化の味”を、改めてじっくり堪能したいものです。
なお現在、東日本エリアで開催中の「駅弁味の陣2017」のエントリー駅弁でもあります。
東海道線と横須賀線で始まった大船駅も、後に京浜東北線から直通する根岸線、湘南モノレールなどの接続駅となり、今は1日を通して多くの人が行き交う駅になりました。
特に大船駅からは、上野東京ライン、湘南新宿ライン、横須賀線・総武線直通列車など、様々なルートで東京方面へ行けるため、構内には最大10列車も表示する巨大な行先案内板も登場。
ますます交通の要衝としての役割を強めています。
そんな大船の名物・・・あの魚を使った押寿しを次回以降、紹介していきましょう!
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/